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422.『阿弥陀経』を読む(62)

20180409タムシバ   20180409タムシバ2
「御文」 舍利弗・若有人・已発願・今発願・当発願・欲生阿弥陀仏国者・是諸人等・皆得不退転・於阿耨多羅・三藐三菩提・於彼国土・若已生・若今生・若当生・是故舍利弗・諸善男子・善女人・若有信者・応当発願・生彼国土
     (しゃりほツ・にゃくうにん・いほツがん・こんぽツがん・とうほツがん・よくしょうあみだぶっこくしゃ・ぜしょにんとう・かいとくふたいてん・おあのくたら・さんみゃくさんぼだい・おひこくど・にゃくいしょう・にゃくこんじょう・にゃくとうしょう・ぜこしゃりほツ・しょぜんなんし・ぜんにょにん・にゃくうしんじゃ・おうとうほツがん・しょうひこくど)

「訓読」 舎利弗、もし人ありて、すでに発願し、いま発願し、まさに発願して、阿弥陀仏国に生(しょう)ぜんと欲(おも)はんものは、このもろもろの人等(ひとら)、みな於阿耨多羅三藐三菩提を退転せざることを得て、かの国土において、もしはすでに生れ、もしはいま生れ、もしはまさに生れん。このゆゑに舎利弗、もろもろの善男子・善女人、もし信あらんものは、まさに発願してかの国土に生るべし。

「訳文」 舎利弗よ、もし人が阿弥陀仏の国に生れたいとすでに願い、または今願い、あるいはこれから願うなら、みなこの上ないさとりに向かって退くことのない位に至り、その国にすでに生まれているか、または今生まれるか、あるいはこれから生まれるのである。だから舎利弗よ、仏の教えを信じる善良なものたちは、ぜひともその国に生れたいと願うべきである。

 前回、お釈迦さまは、阿弥陀さまの名(みな)を聞き、念仏する人は、現生において諸仏に護られ不退転の位を得ることができる、と説かれました。
 今回、お釈迦さまは、「発願」の利益(りやく)をあげて信を勧められます。お釈迦さまは阿弥陀さまのお浄土に生まれたいと願うならば、だれでもさとりから戻ることのない不退転の位につくことができると説かれます。

 「発願」を『浄土真宗辞典』に尋ねますと次のように記されています。
 「願いを発(おこ)すこと。(中略)浄土教では、法蔵菩薩が浄土を建立してすべてのものを生まれさせたいという願いをおこしたこと、また衆生が浄土に往生したいという願いをおこすことをいう。」

 発願は願いを発することなのですが、お浄土に生れたいと私たちから発する心ではなくて、阿弥陀さまが私たちを生まれさせたいとされた願いが私たちに届いていただき、そのことによって私たちに起こる「発願」なのだということを味あわせていただきたいと思います。それは「必ず救う、もれなく救うから任せよ」と喚(よ)びかけていただいている阿弥陀さまの願い、声が私たちに届き、往生は間違いない、と願っていただいたそのことによって私たちがお浄土に生まれることを願う心です。

 お釈迦さまは、さらに、この「発願」の利益は、すでに発願した人、今現在発願する人、これから発願する人、と過去、現在、未来の三世の人が、それぞれの世において「生まれる」ことなのだと説かれます。
 以前の「六方段」で空間的に数限りない仏方が阿弥陀さまのお救いの功徳を讃嘆されていることを学びました。今回は、いわば時間的に、過去、現在、未来にわたって阿弥陀さまの願が私たちに届いて私たちにお浄土に生れたいと願わせていただいているということをお示しいただいています。

 このように、お釈迦さまは、前回と今回で「聞名、聞経名」と「発願」の利益を説かれて、私たちに信をお勧めになられています。

(写真は、タムシバの花です。)

 タムシバは以前に載せたコブシと同じモクレン属の植物です。両方はよく似ているのですが、コブシの花の下には1枚の葉があるのに対して、タムシバにはこれがないというところで見分けがつくということです。
 写真は、4月中頃六甲山で撮ったものです。六甲山にはこのタムシバの木がたくさんあり、まだ色彩の乏しい山を白く彩ります。
 (実は、先日シデコブシという同じモクレン属の花の写真を撮っていて、本日はこれを載せる予定にしていたのですが、その写真を保存せずに削除してしまったようです。で、やむを得ず急遽タムシバに変更となりました。シデコブシの方は、来年登場ということになりそうです)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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