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410.『阿弥陀経』を読む(59)

20180226秋吉台   20180226秋吉台2

[御文] 舍利弗・下方世界・有師子仏・名聞仏・名光仏・達摩仏・法幢仏・持法仏・如是等・恒河沙数諸仏
     (しゃりほツ・げほうせかい・うししぶツ・みょうもんぶツ・みょうこうぶツ・だつまぶツ・ほうどうぶツ・じほうぶツ・にょぜとう・ごうがしゃしゅしょぶツ)

     各於其国・出広長舌相・徧覆三千・大千世界・説誠実言・汝等衆生・当信是称讃・不可思議功德・一切諸仏・所護念経

[訓読] 舎利弗、下方の世界に、師子仏・名聞仏・名光仏・達摩仏・法幢仏・持法仏、かくのごときらの恒河沙数の諸仏ましまして、・・・

[訳文] 舎利弗よ、また下方の世界にも、師子仏・名聞仏・名光仏・達摩仏・法幢仏・持法仏など、ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がたがおられ、・・・

 これまで、東西南北の仏方がお釈迦さまの説かれることは間違いのないことだと証明されてきましたが、今回は下方におられる仏方です。
 今回も、瓜生津師による仏方のご紹介を引用させていただきます。( )内はサンスクリット本の『阿弥陀経』にでている対応するお名前の意味です。

  師子仏 (獅子)
  名聞仏 (名声のあるもの)
  名光仏 (名声ある光を持もの)
  達摩仏 (法)
  法幢仏 (法の幢をもつもの)
  持法仏 (法を持てるもの)

 『本願寺新報』に「いのちの栞」という欄がありますが、今日はその2月20日号の内容をご紹介します。
 淺田恵真師が「お釈迦さまが私に向けて」という題で、ちょうどいま学んでいます『阿弥陀経』の最初の部分「如是我聞」についてお話しいただいています。

 この「我」は、お釈迦さまのお話しを直接聞き後の世に伝えられた阿難尊者がご自分のことを言っておられるのですが、淺田師は、「この「我」は阿難尊者ではなく、正(まさ)しくこの自分の「私」なのです。お釈迦さまがこの「私」に向かって直接に説法してくださっていると解釈した時、阿弥陀経の内容が現実のものとして理解できるのです」と記されています。

 私たちはご一緒に『阿弥陀経』を学んでいますが、そこにはどうしても「学んで頭で内容を理解する」という姿勢が入ってくるように思います。お釈迦さまが「お弟子さんに」説かれたみ教えを理解したい、という姿勢になってしまいます。それは、このブログの記事を書いているときにも時々感じることがあります。直接私に語りかけられているお釈迦さまのみ教えを聞く、という姿とは違ったものになっています。
 お釈迦さまが「舎利弗よ」「舎利弗よ」と何度も何度も呼びかけられるお言葉は、この私に、時として他人事のように聞いている私に「自分のこととして聞いてくれよ」と何度も呼びかけられていお言葉なのだと改めて受け止めたいと思います。

 また淺田師は、「如是(このように)」について、「仏法の大海は、信をもって能入(のうにゅう)と為(な)す」という言葉を引かれて、「仏法の奥深さを大きな海にたとえ、そこに入るには「信」が無ければならないことを明かします。これが「如是」の意味だというのです。」と記されています。師は、信とは単に「疑わない」ということと言われるのですが、私たちは小賢しく考えてお釈迦さまのお説きになる言葉に疑いの目を向けてしまいがちです。そこには「学んで頭で理解する」という私の姿勢も影響を及ぼしているのかもしれません。

 淺田師が言われる、「『お釈迦さまのお説きくださった教えを私は疑わずに聞かせていただきます』が『如是我聞』の意となります」という言葉をもう一度心に刻みたいと思います。

(写真は、先週の月曜日の秋吉台です)

 季節を感じさせる行事の山焼きに一度行ってみたいと思っているのですが、今年も果たせず、その翌日の風景です。文字通り焼け野原という感じですが、間もなく新しい芽吹きがみられることと思います。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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