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36.浄土真宗の教章(4)


20140801釈尊1 (1)
   20140801釈尊2 (2)

 本日も、前回に続いて「浄土真宗の教章」の「本尊」について見てみます。

 ご門徒さんとお話していて時々、「お釈迦様はおまつりしないのですか?」と尋ねられることがあります。
 お釈迦様は仏教を開かれた大切な方なのに、お寺の本堂にもご家庭のお仏壇にもお姿が見えないのはなぜなのですか、という疑問です。

 お釈迦様(釈尊)は約2500年前にインドの地で悟りを開かれ、現在の私たちにまで遠く時間と距離を超えて伝わる仏教を開かれた方です。お迦さまがおられなかったら、阿弥陀如来のお救いの光について私たちは知ることがなかったと言えます。
 そのようなお釈迦様をどのように考えたらいいのでしょうか?なぜお姿が見られないのでしょうか?

 親鸞聖人が作られたご和讃『浄土和讃』に次のご和讃があります。
  久遠実成(くおんじつじょう)阿弥陀仏 五濁(ごじょく)の凡愚(ぼんぐ)をあはれみて
  釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)としめしてぞ 迦耶城(がやじょう)には応現(おうげん)する

 (計り知れない遠い過去に正覚を成就し仏になられた阿弥陀如来は、迷いの世界で悩み苦しむ私のために、お釈迦様となってブッダガヤの地で悟りを開かれ、私に見える姿となり、聞こえる声になって仏法をお伝え下さった)

 このように、親鸞聖人は、お釈迦様は阿弥陀如来がご本願を私たちに伝えるためにこの世にお出になられた姿なのだと、説かれています。
 阿弥陀如来とお釈迦様は決して別の方ではありません。従って、私たちが阿弥陀如来の尊前で合掌礼拝するときには、当然にお釈迦様に対しても合掌礼拝しお礼を申し上げていることになります。

(写真は、ブッダガヤの「大菩提寺」です。釈尊はこの地の菩提樹のもとで悟りを開かれたと伝えられています)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)   
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