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396.『阿弥陀経』を読む(52)

   
20180108法隆寺釈迦三尊像

[御文] 舍利弗・如我今者・讃歎阿弥陀仏・不可思議功德
     (しゃりほツ・にょがこんじゃ・さんだんあみだぶツ・ふかしぎくどく)

[訓読] 舎利弗、われいま阿弥陀仏の不可思議の功徳を讃歎するがごとく、

[訳文] 舎利弗よ、わたしが今、阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえているように、

 ここから私たちは、「証誠(しょうじょう)段」あるいは「六方(ろっぽう)段」と呼ばれている部分に入ります。

 お釈迦さまは、前回の最後に「わたしはこのような利益があることをよく知っているから、このことを説くのである。」と話されました。お釈迦さまは、私たちは信心をいただいてお念仏申すときに間違いなくお浄土に迎えていただけると説かれ、「わたしはこのことをよく知っているから」と、いわば、お釈迦さまご自身がそのことについて「証明」していただいたということになります。

 今回以降で、お釈迦さまはさらに、六方(東方、南方、西方、北方、下方、上方)の数限りない仏方も、お釈迦さまの説かれることは間違ないことであり、阿弥陀さまの優れた徳が真実であり、この教えを信じるようにと勧めておられると説かれます。
 「証誠段」の証誠は、「誠のことばをもって証明する」(『浄土真宗辞典』)という意味で、六方の多くの仏方もそのことを証明されているということになります。

 瓜生津師は、お釈迦さまがご自身のことばだけではなく、他の多くの仏方のことばも加えて、阿弥陀さまのお救いの力を讃えられているのは、私たちがどうしようもなく疑い深く、容易に仏法を信じようとしないからなのだと記されています。これから諸仏のお名前が続く部分をお読みしていますと、お釈迦さまがこのように疑い深い私たちを気遣っておられるのだと、改めて思い返すことができます。

 「不可思議」ということばが出てきます。
 私たちはこのことばを「妙なこと、怪しいこと」といった意味に使いますが、『浄土真宗辞典』には「言葉では言い表したり、思いはかることのできないこと」「特に仏の徳が、衆生の思いやはからいを超え、衆生を自在に救うことのできることを表す」とされています。
 『阿弥陀経』にはこの後も「不可思議」が出てきますが、いずれも「不可思議功徳」という形です。不可思議ということばは本来は、私たちにははかり知れない仏さまの力、智慧を表すことばだったのだと思います。

 以前にも申しましたが、『阿弥陀経』は「無問自説」のお経で、お弟子さんなどからの問いかけや、勧めをきっかけにお説きになられたものではなく、お釈迦さまがご自分から説き始められたお説法です。
 お釈迦さまがご生涯を通じて、なんとしても阿弥陀さまの「不可思議の功徳」を私たちに伝えたいと願われ説かれたみ教えです。そのことを思いながら、これからの「証誠段」を学びたいと思います。

(写真は、釈迦三尊像です)

 法隆寺の金堂に安置されている国宝の三尊像です。以前ご紹介した東大寺の三尊像では、普賢菩薩と文殊菩薩とともに描かれていましたが、法隆寺のお釈迦さまは薬王菩薩、薬上菩薩と呼ばれる菩薩方とご一緒です。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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