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393.『阿弥陀経』を読む(50)

20171229来迎図2  20171229来迎図5

[御文] 其人臨命終時・阿弥陀仏・与諸聖衆・現在其前・是人終時・心不顚倒・即得往生・阿弥陀仏・極楽国土
     (ごにんりんみょうじゅじ・あみだぶツ・よしょしょうじゅ・げんざいごぜん・ぜにんじゅじ・しんぷてんどう・そくとくおうじょう・あみだぶツ・ごくらっこくど)

[訓読] その人、命終(みょうじゅう)の時に臨みて、阿弥陀仏、もろもろの聖衆(しょうじゅ)と現(げん)じてその前にましまさん。この人(ひと)終らん時、心(しん)顚倒(てんどう)せずして、すなはち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得(う)。

[訳文] その人が命を終えようとするときに、阿弥陀仏が多くの聖者たちとともにその前に現れてくださるのである。そこでその人がいよいよ命を終えるとき、心が乱れ惑うことなく、ただちに阿弥陀仏の極楽世界に生まれることができる。

 前回までの部分で、お釈迦さまは、阿弥陀仏をこころにとどめ他に心を散らさずに一心に念仏する、という行について説かれました。親鸞聖人は、そこで説かれているお念仏は自力の念仏ではなく、阿弥陀さまから私たちに向けられた信心をいただいたお念仏であると示されました。

 今回、お釈迦さまは、その「果」、お念仏の利益(りやく)について説かれます。
 お釈迦さまは、お念仏申す人は、「命を終えようとするときに、阿弥陀仏が多くの聖者たちとともにその前に現れてくださる」こと(来迎:らいこう)と「命を終えるとき、心が乱れ惑うことなく、ただちに阿弥陀仏の極楽世界に生まれることができる」こと(極楽往生)という二つの果を得ることができる、と説かれます。

 親鸞聖人は今回の部分についても、お経の経文の根底に流れている真意について次のように記されています。
 「来迎は諸行往生にあり、自力の行者なるがゆゑに。臨終といふことは、諸行往生のひとにいふべし、いまだ真実の信心をえざるがゆゑなり。(中略)真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の義則をまたず。」『親鸞聖人御消息』

 親鸞聖人は、自力に頼る行人は、いまだ信心をいただいておらず、臨終のときに阿弥陀さまの来迎を待たなければならない、とされます。一方、信心をもってお念仏申す人にとって、来迎は臨終のときのものではなくすでに臨終に至るまでに阿弥陀さまの来迎をいただいいるのであり、堅固な信心をいただいているのでなにものにも心を乱されることもなく、信心をいただいた時すでに極楽浄土に往生することが定まっている、まさに「臨終まつことなし、来迎たのむことなし」なのだとお示しいただいています。
 ここでも親鸞聖人は、『阿弥陀経』の「顕彰」と「陰彰」をお示しいただいて、お釈迦さまの説法の真意をお伝えいただいています。

(図は、「阿弥陀聖衆来迎図」と呼ばれる図です。ネットからお借りしています。)

 左は国立奈良博物館、右は高野山所蔵のものでいずれも国宝に指定されています。阿弥陀さまが観音菩薩、勢至菩薩や楽人を従えて臨終の人のもとに降りてこられる様子が描かれています。
 当時の貴人はこの屏風絵を枕元に立てて、阿弥陀さまにつながる紐を手にして臨終の時を迎えていたとお聞きしました。命終わるその時になっても、往生に不安を抱えていたのだということになります。
 そのことを思いますと、私たちには、親鸞聖人の「臨終まつことなし、来迎たのむことなし」というお言葉が改めて力強く伝わってきます。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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