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382.『阿弥陀経』を読む(44)

20171120南原寺紅葉   20171120南原寺紅葉2    

[御文] 舍利弗・不可以少善根・福德因縁・得生彼国  
     (しゃりほツ・ふかいしょうぜんごん・ふくとくいんねん・とくしょうひこく)

[訓読] 舎利弗、少善根福徳の因縁をもつてかの国に生ずることを得べからず。

[訳文] しかしながら舎利弗よ、わずかな功徳を積むだけでは、とてもその国に生まれることはできない。

 前回、お釈迦さまは私たちに、まずお浄土に生れたいと願うこと、「発願」を説き勧められました。
 そして今回、お釈迦さまは「わずかな功徳」を積むだけでは、お浄土に往生することはできない、と説かれます。

 この「少善根福徳」は「少善根少福徳」のことで、その「少」は量的に少ないという意味の他に、「小さい」とか「劣っている」という意味があると伺いました。

 ここでは、お釈迦さまの言われた「少善根少福徳」の行、「劣っている行」とは何かということが重要になってきます。
 瓜生津師は、善導大師は『法事讃』という書の中で、「少善根少福徳の行」とは、「隨縁(ずいえん)の雑善(ぞうぜん)」であると説かれたと記されています。

 親鸞聖人は、善導大師のことばを受けて、「隨縁は衆生のおのおのの縁にしたがひて、おのおののこころにまかせて、もろもろの善を修するを極楽に回向するなり。すなはち八万四千の法門なり。これはみな自力の善根なるゆゑに浄土には生まれずと、」(『唯信鈔文意』)と説かれています。
 親鸞聖人は、「八万四千の法門」ということばを本願(第十八願)以外の行という意味で使われていますが、第十八願に説かれた法以外は自力の行で、少善根少福徳の行、つまりお浄土に往生することができない劣った行だとされています。

 瓜生津師は、親鸞聖人の作られたご和讃から次の和讃を引用しておられました。
  「恒沙塵数(ごうじゃじんじゅ)の如来は 万行の少善きらひつつ 名号不思議の信心を ひとしくひとへにすすめしむ」
  (数限りない仏がたは、さまざまな行を修めて得られるわずかな功徳を退けて、思いはかることのできない名号のはたらきによる信心を、みな同じく、ひとえにお勧めになる)

(写真は南原寺の紅葉です)

 今年はまだ紅葉を見に行くことができず、この写真は4年前のものです。
 美祢市にある南原寺はサクラやシャクナゲなどでも人気のあるお寺ですが、紅葉も素晴らしいものです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 
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