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375.『阿弥陀経』を読む(42)

20171030ワタ2   20171030ワタ

[御文] 又舍利弗・極楽国土・衆生生者・皆是阿鞞跋致・其中多有一生補処・其数甚多・非是算数・ 所能知之・但可以無量無辺・阿僧祇劫説
     (うしゃりほツ・ごくらっこくど・しゅじょうしょうじゃ・かいぜあびばっち・ごちゅうたう・ひぜさんじゅ・しょのうちし・たんかいむりょうむへん・あそうぎこうせツ)

[訓読] また舎利弗、極楽国土には、衆生生ずるものはみなこれ阿鞞跋致(あびばっち)なり。そのなかに多く一生補処(いっしょうふしょ)(の菩薩)あり。その数はなはだ多し。これ算数(さんじゅ)のよくこれを知るところにあらず。ただ無量無辺阿僧祇劫をもつて説くべし。

[訳文] また舎利弗よ、極楽世界に生まれる人々はみな不退転の位に至る。その中には一生補処という最上の位の菩薩たちもたくさんいる。その数は実に多く、とても数え尽くすことができない。それを説くには限りない時をかけねばならない。

 お釈迦さまは前回、阿弥陀さまの周りにおられる方々(聖衆)について説かれたのに引き続き、今回は新たに浄土に往生した方々についてお話しされます。

 お釈迦さまは、新たに娑婆世界から浄土に生れるものは、みな阿鞞跋致に至るのだと説かれます。
 この阿鞞跋致を『浄土真宗辞典』にたずねますと、「阿鞞跋致」は梵語の音訳で、「無退・不退・不退転などと意訳する。退かないという意」とされており、その「不退転」は「菩薩の修道が進んで仏になることが定まり、再び悪趣や二乗や凡夫の位に退歩したり、さとったところの菩薩の地位や法を失わないこと、また、その位をいう」とされ、すでに得た境地から転落しないこと、になります。

 お釈迦さまは、このように、往生して阿弥陀さまのお浄土に生れたものはみな不退転の位に至って、迷いの世界に戻ることはない、と説かれ、そこには、一生補処という最上の位の数限りない菩薩方がおられると説かれます。
 この「一生補処」は『浄土真宗辞典』では、「一生を過ぎれば仏処を補うべき地位。菩薩の最高位で次の生涯には仏になることができる位。また、浄土へ往生した者は一生補処の菩薩の位に住し、他方の衆生を教化利益するとされる。」とされています。
 お釈迦さまは、お浄土に生まれた方々は、みな仏と等しい位を得ておられると説いておられます。

 このことは、四十八願のうちの第二十二願が成就されたことによると伺いました。第二十二願には、「わたしが仏になるとき、他の仏がたの国の菩薩たちがわたしの国に生れてくれば、必ず菩薩の最上の位である一生補処の位に至るでしょう。・・・」と説かれていて、この願は「還相回向の願」と呼ばれています。

 親鸞聖人は、信心をいただいてお浄土に生れる身となったものは、すでに現生において不退転の位に至り、往生の後にはこの世に戻り衆生を救済する役を果たす、とされます。お浄土に生れて不退転の位に至るというのではなくて、現生においてお浄土に生れると定まったものはすでに不退転の位に至るのだ、と示されました。第二十二願が「還相回向の願」と称される所以です。

 この不退転という言葉は、現在でも「不退転の決意で」などと使われていますが、これも仏教用語が日常用語になった一例でしょう。ただ、「不退転の決意」の方の「不退転」は、私の決意による「不退転」というニュアンスで使われていますので、もとの意味とは随分変わってきているように思います。

(写真は、ワタの花です。)

 ワタもアオイ科の植物で、可憐な花を咲かせます。その実である綿花は明治時代以降は海外から輸入されるようになりますが、それ以前には、日本の多くの地域でワタが栽培されていたようです。
 インドは現在でもワタの生産量は世界第2位の地位を占めています。お釈迦さまの時代はどうだったのでしょうか?

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 
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