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355.『阿弥陀経』を読む(34)

20170821ボタンクサギ2   20170821ボタンクサギ

[御文] 舍利弗・汝勿謂此鳥・実是罪報所生・所以者何・彼仏国土・無三悪趣 
(しゃりほツ・にょもツいしちょう・じツぜざいほうしょしょう・しょいしゃが・ひぶツこくど・むさんまくしゅ)

[訓読] 舎利弗、なんぢこの鳥は実にこれ罪報(ざいほう)の所生(しょしょう)なりと謂(おも)ふことなかれ。ゆゑはいかん。かの仏国には三悪趣(さんまくしゅ)なければなり。

[訳文] 舎利弗よ、そなたはこれらの鳥が罪の報いとして鳥に生まれたのだと思ってはならない。なぜなら阿弥陀仏の国には地獄や餓鬼や畜生のものがいないからである。

 お釈迦さまは舎利弗さんに、美しい声で法を説き示すお浄土の鳥たちは、罪悪の行為の報いとして鳥になったのではない、と説かれます。

 当時のインドでは、人はそれぞれの行為の結果として生死を繰り返し(輪廻し)、その結果迷い往く境界を6種に分けていたと伺いました。それは、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天の6つで、これを六道(六趣)と呼んでいます。
 そのうちの最初の3つ、地獄、餓鬼、畜生が「三悪趣」と呼ばれています。その「三悪趣」を『浄土真宗辞典』に尋ねますと、次のように記されています。
 地獄:「自らの罪業の結果として衆生が趣く苦しみの極まった世界」
 餓鬼:「貪欲(とんよく)の報いとして衆生が趣く常に飢餓に悩まされる世界」
 畜生:「人にたくわえ養われていきているものの意で、鳥・獣・虫・魚としての生存状態をいう。愚痴(ぐち)の報いとして衆生が趣く世界」
 いずれも決して往きたいと思われる世界ではありませんが、私たちの罪業や煩悩の報いということですから、私たちとは関わりのない別の世界だ、と言い切れない世界でもあります。

 今回、お釈迦さまは、お浄土には迷いの世界である「三悪趣」そのものがないのだから、これらの鳥は罪悪の行為の報いとして鳥にされたものではない、と説かれています。

(写真は、ボタンクサギという植物です。庫裡の横でだんだん増えてきています。)

 真夏の暑い時期に華やかな花を咲かせます。花が少ない時期に仏花にしたいところですが、名前の通り「臭木」で悪臭があっていけません。
 右の写真は、偶然に見つけたものなのですが、もう一つの小さな花はヘクソカズラとこれも名前通りに臭い植物です。臭い花コンビの揃い踏みですが、小さい方は、サオトメバナ(早乙女花)という可愛らしい名前も付けられています。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください。)
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