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345.『阿弥陀経』を読む(29)

20170717華篭  20170717華葩

[御文] 其国衆生・常以清旦・各以衣裓・盛衆妙華・供養他方・十万億仏
    (ごこくしゅじょう・じょういしょうたん・かくいえこく・じょうしゅみょうけ・くようたほう・じゅうまんのくぶツ)

[訓読] その国の衆生、つねに清旦(しょうたん)をもつて、おのおの衣裓(えこく)をもつて、もろもろの妙華を盛(い)れて、他方の十万億の仏を供養したてまつる。

[訳文] その国の人々はいつも、すがすがしい朝に、それぞれの器に美しい花を盛り、他の国々の数限りない仏がたを供養する。

 今回お釈迦さまは、これまで見てきましたお浄土という場におられる人々(菩薩方)についてお話しになります。
 菩薩方は、すがすがしい朝に器に美しい花を盛って、他の国々(極楽浄土以外の国々でしょう、阿弥陀経の始めの部分に「十万憶仏土」という言葉がありました)の多くの仏方を供養されるのだと、説かれます。

 昼間は苛烈な気候のインドですがそのすがすがしい早朝、菩薩方が花を盛った器を捧げて歩いておられる姿が目に浮かぶような部分です。インドの仏教遺跡に花がたくさん供えられていたことを思い出しました。マリーゴールドのような鮮やかな黄色が印象に残っています。

 中村元氏は、衣裓(えこく)は「花を盛る器。華籠(けろう)もその一つ」とされています。以前に読んだことのある阿弥陀経に関する本で、この部分を「それぞれの衣のすそに花をもり、」と、「衣のすそ」だとする説明がありました。分かりにくいなあ、と思っていたのですが、やはりここは「器」とするのがよいようです。

 供養という言葉が出てきますが、これは現在でもよく使われる言葉です。先祖供養や水子供養さらには針供養、筆供養まで、様々な「供養」がいわれます。
 前の二つは、それを怠ると災いが及ぶのでそれを取り除くために行う供養、という恐れの意味が込められているように思います。
 供養の元々の意味はそれとは違っています。『浄土真宗辞典』では、「供養」は「敬いの心をもって奉仕すること。三宝(仏、法、僧の)や父母・師長などに身・口・意の三業をもって供物をささげること。」とされています。
 このように、「供養」は亡くなった方やご先祖に対して行うものではないのですが、仏教用語が日常的に使われるようになって、本来の意味から離れてきた例の一つだと思います。

 「他の国々の数限りない仏がたを供養される」ということばも印象に残ります。極楽浄土の菩薩方は他の浄土の仏方をも供養される、とお釈迦さまはいわれます。おだやかな、ほのぼのとした雰囲気が感じられるところでもあります。

(写真は、仏具の華籠(左:けろう)と華葩(右:けは)です。)

 華籠は「散華に用いる花皿」のことで、お経本や華葩を入れるために使います。
 散華は法要や儀式の際に、華葩を散らして仏などに供える作法です。その際、生花や葉が用いられることもあるそうですが、多くは蓮の花弁を模した形の華葩が使用されます。
 このように散華の作法はお釈迦さまの時代の菩薩方の「供養」の姿を今に伝えるものだといえます。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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