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342.『阿弥陀経』を読む(27)

20170707平等院像2   20170707平等院像

[御文] 又舍利弗・彼仏国土・常作天楽 (うしゃりほツ・ひぶツこくど・じょうさてんがく)

[訓読] また舎利弗、かの仏国土には、つねに天の楽(がく)をなす。

[訳文] また舎利弗よ、その阿弥陀仏の国には常にすぐれた音楽が奏でられている。

  お釈迦さまは、これまで学んできました「宝樹の荘厳」「宝池の荘厳」に続いて「天楽(てんがく)・金地(こんじ)・妙華(みょうけ)の荘厳」を説かれてお浄土の素晴らしさをお伝えになります。

 まず、お浄土ではいつもすぐれた、素晴らしい音楽が奏でられている、と説かれます。

 『観無量寿経』のなかでは、「数限りない天人がいて、すばらしい音楽を奏でている。また空には楽器が浮んでおり、・・・・奏でるものがなくてもおのずから鳴り、その響きはみな等しく仏を念じ、法を念じ、僧を念じることを説くのである。」と説かれます。
 私たちにお浄土の素晴らしさを、耳に伝わる音楽として示していただいたものです。そして、その妙なる響きは、それを耳にした私たちが仏を念じ、法を念じ、僧を念じるようにと奏でられているのだと説かれています。この「念仏念法念(比丘)僧」という言葉は後に『阿弥陀経』でも出てきますが、耳から伝わる音(音楽)の力というものが大切にされていたのだということを感じることができます。

 考えてみますと、宗教と音楽とは切っても切れない関係があるように思います。
 仏教に限らず、教えが広く遠く伝わるには文字に書かれた経典だけでは十分ではなく、音(音楽)の力が随分と大きかったのではないかと想像します。文字を読むことができる人はごく一部に限られていたでしょうし、教えが話し言葉で伝えられる場合も、音声や音楽の要素を加えることにより大きな力を発揮したのだ思います
 キリスト教やイスラム教でもそのようだったのではないでしょうか。音楽というものが宗教に伴うものとして発展してきたといっても良いのかもしれません。

 現在、私たちはお経を音程や節をつけてお読みしていますが、その原初の姿はインドでできたのだとお聞きしました。
 『無量寿経』に「清風(しょうふう)、時に発(おこ)りて五つの音声(おんじょう)を出だす。微妙(みみょう)にして宮(きゅう)商(しょう)、自然(じねん)にあひ和す」というお釈迦さまの言葉があります。五つの音声というのは、ここに出ています宮、商を含む五つの音(音階)のことです。このように当時のインドでも音(音楽)が大切にされたことが伺え、お釈迦さまも秀でた音声の方だったと伝えられています。
 
 仏教は中国を経由して日本に伝えられましたが、それに従うようにその音楽「声明(しょうみょう)」も伝来し、現在の私たちのお読みするお経につながっています。
 お経を拝読しながら、その旋律やリズムの中にお釈迦さまの当時のインドのことを思い浮かべることができれば、すばらしいことだと思います。

(写真は、宇治の平等院の雲中供養菩提像と呼ばれる像です)

 お浄土の音楽というと、この像のことを思い出します。お浄土で阿弥陀さまを讃嘆する菩薩、あるいは阿弥陀さまとともに来迎する菩薩の像だとされています。
 全部で52の像があるそうですが、笛や琴などの楽器を演奏している像、合掌している像などいかにも楽しそうな姿を見ることができます。
 写真は、ウイキペディアから借りてきました。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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