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330.『阿弥陀経』を読む(21)

20170526タラヨウ2  20170526タラヨウ1  20170526タラヨウ3 

 前回に続いて、『阿弥陀経』を学びます。

[御文] 皆是四宝・周帀囲繞・是故彼国・名曰極楽
     (かいぜしほう・しゅうそういにょう・ぜこひこく・みょうわツごくらく)

[訓読] みなこれ四宝周帀し囲繞せり。このゆゑにかの国を名づけて極楽といふ。

[訳文] そしてそれらはみな金・銀・瑠璃・水晶の四つの宝でできていて、国中のいたるところにめぐりわたっている。それでその国を極楽と名づけるのである。

 前回、お釈迦さまは極楽浄土の姿として玉垣と、宝の網飾りと、並木がそれぞれ七重になっているとお話しになられましたが、これらの荘厳が全て金・銀・瑠璃・水晶という四つの宝でできており、それが国中のいたるところに巡らされているとその素晴らしさを説かれます。

 御文で「四宝」となっている部分が訳文では「金・銀・瑠璃・水晶という四つの宝」だとされていますが、これはこの『阿弥陀経』のすぐ後の部分にこの四宝が具体的に記されていることに対応しているものと思われます。
 また、その後にはこの四宝も含む七つの宝というのも登場し、極楽浄土の輝くばかりの壮麗さが余すところなく説かれています。

 瓜生津師は、このようにまばゆいばかりの宝石を描くことによって、極楽浄土が私たちが想像できる限りのあらゆる享楽的な感覚の楽しみに満ちているように描かれているのはなぜなのだろうか、と問われます。「本来、涅槃の世界である浄土は、寂滅無為のみやことわれるように、すがたやかたちを超え、人間のあらゆるはからいを超えた静寂な境界であるはずです。」

 師は、古来それは、浄土の荘厳を説くことによって、私たちに浄土を願い求める心をおこさしめるためであり、無形のものを形をもって説きあかされているとされてきた、と紹介されます。
 さらに、有形のものは単に無形のものに至るための手段にとどまらず、「人知の及ばない不可思議の世界が浄土の荘厳となって現実にあらわれ、はかり知れないはたらきを示しているのであって」、有形と無形とはものの現象と本質をあらわす一体、一如のものと受け止めるべきだとされています。

 また、中村元氏はこの荘厳の描写について、浄土経典がつくられた時代のインドが金貨の流通が最も盛んになった時代で、宝石を重んじるインドの人々の嗜好と相俟って、想像上の理想世界として浄土の荘厳が描かれたのだろう、とされています。

 理想の世界は、それぞれの時代を反映したものになるようですが、現代の私たちが想像上の理想世界を描くとしたら、どのような荘厳を思い浮かべることになるのでしょうか?

(写真は、タラヨウ(多羅葉)です。)

 前回の記事で、七重の並木に植えられていたオウギヤシ(貝多羅葉樹)をご紹介しましたが、それと似た使われ方をしたことから命名されたとして「余談」で登場した植物です。
 兵庫県の西宮東郵便局で撮った写真と、その時にもらった葉の裏側に字を書いてみたものです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

 
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