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321.『阿弥陀経』を読む(17)


20170424長登サクラ2
   20170424長登サクラ

「御文」 有世界 名曰極樂 (うせかい・みょうわツごくらく)

「訓読」 世界あり、名づけて極楽といふ。

「訳文」 極楽と名づけられる世界がある。

 前回、「ここから西の方へ十万億もの仏がたの国々を過ぎたところに、」とされていましたが、お釈迦さまは「そこに極楽と名づけられる世界がある」と説かれています。

 この「極楽」という言葉は、初めて登場しました。『浄土真宗辞典』では、極楽とは「阿弥陀仏の浄土のこと。もろもろの楽しみが常で、苦しみのまじらない世界であるから、このようにいわれる。」とされています。

 私たちは、この「極楽」という言葉を耳にすると、この世の欲望が満足される世界、といったイメージを持ってしまいます。  
 『岩波国語辞典』を見ますと、「『極楽浄土』の略。転じて心配のない安楽な境遇」とされていて、その「極楽浄土」は「阿弥陀仏の浄土。諸仏の浄土中もっとも完全なもの」とされていました。ここでは、「極楽」の本来の意味が示され、それが転じて(私たちが一般にイメージしているように)この世の満足という意味が示されてます。

 お釈迦さまは、「人生は苦である」とされ、私たちは、生老病死の四苦、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦を加えた八苦から逃れることができない存在なのだと説かれました。「極楽」とはそのような根源的な苦から解放された世界のことだと伺いました。
 中村元氏はそれを「われわれの住む穢土(えど)における苦・楽相対の楽ではなくして、浄土の楽とは絶対の楽をさす」とされています。「極楽」とは、私たちのこの世での欲望が満たされた姿ではなく、そのような苦・楽を超えた、ゆるぎのない楽の世界ということになります。

 ちょっと脱線しますが、「極楽」を「きょくらく」と読む場合があるのだそうです。今回初めて知りました。
 『大修館新漢和辞典』では「きょくらく」は「たのしみを十分に尽くす。また、この上ない楽しみ。」とされています。この世の「楽」を極めた姿でしょうか。同辞典では、「ごくらく」について「阿弥陀如来のいる所で、すべての苦しみのない、この上なく安楽な世界」だとして、ちょうど今学んでいます『阿弥陀経』の「從是西方過十万億仏土有世界、名曰極楽。 其土有仏、号阿弥陀。・・・其国衆生、無有衆苦、但受諸楽。」と途中を略しながら御文が引用されていました。

 先の『岩波国語辞典』の「極楽」を使った熟語として「ごくらくとんぼ(極楽蜻蛉)」という語がありました。いわく「うわついた態度ののんき者をののしって言う語。」そうそう、そんな言葉もあったなあ、と思いだしました。この「極楽」は、典型的な「この世の安楽」にあたるのでしょう。
 と、最初に書いてその後しばらく経って思ったのですが、この「極楽のトンボ」、上のような解釈とは別に穏やかな風景を思い浮かべさせるようにも思われます。「極楽蝶々」「極楽バッタ」・・・などとは違って、トンボは目に見えない風に抱かれてこの世の苦や楽とは別の世界を飛んでいるように感じられませんか?
 目に見えない力を感じてそれにお任せするという姿がこの世の人々の目には「うわついた態度ののんき者」に見えることだってあるかもしれません。以前「極楽とんぼ」というお笑いコンビがいて、週刊誌に取り上げられるような騒ぎがあったのも、トンボのイメージを落としているのかも。

 仏教が私たちの毎日の生活に深くかかわってきたことは、私たちが使う日常用語の中に多くの仏教用語が取り込まれていることからも伺うことができます。その結果、時として仏教用語が本来の意味から外れて、使われ理解されることにもなりました。今回の「極楽」もその一つのようです。

(写真は、美東町の「長登の枝垂桜」として知られているサクラです)
 あたりを見渡すように悠然と枝をひろげていました。
 
(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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