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312.『阿弥陀経』を読む(13)

20170324釈迦三尊像   20170324弥勒菩薩

 3回続けて「阿弥陀経を読む」になりますが、その13回目になります。

「御文」「訓読」 文殊師利法王子・阿逸多菩薩・乾陀訶提菩薩・常精進菩薩 (もんじゅしりほうおうじ・あいったぼさツ・けんだいかだいぼさツ・じょうしょうじんぼさツ)

「訳文」 すなわち文殊菩薩・弥勒菩薩・乾陀訶提菩薩・常精進菩薩などの菩薩たちや、

 前回の御文「またすぐれた菩薩たち、」を受けて、今回の御文が「すなわち・・・」となっていて、お釈迦さまの説法を聞かれた菩薩方の代表として4人の菩薩方のお名前が出てきます。

 最初の文殊師利法王子は訳文にありますように、文殊菩薩のことです。「法王子」は「菩薩」とおなじ意味だとされています。
 文殊菩薩は「三人寄れば文殊の知恵」という諺にもありますように智慧をつかさどる菩薩だとされています。
 お釈迦さまの像の左右に菩薩が立たれている釈迦三尊像という像形があります。左右の2人は色々な組み合わせがあるのだそうですが、そのお一人が智慧の菩薩文殊菩薩、もう一人は慈悲の菩薩とされている普賢菩薩というものも多いようです。
 そういえば、原子炉の高速増殖炉の名前が「もんじゅ」となっていました。「ふげん」という原子炉もありましたが、智慧と慈悲の原子炉というのもおかしな命名だなあ、と思ってしまいます。

 次の菩薩は弥勒菩薩です。
 弥勒菩薩は、現在の一生が過ぎると仏となることが約束されている「補処(ふしょ)の菩薩」とされていて、お釈迦さまが入滅された56億7千万年の後に、この世に下生して龍華樹のもとで成道し、多くの人びとを救済するという「未来仏」とされています。
 親鸞聖人は、他力の信心を得た人は次の生で必ず仏になることができるのだから、その位は弥勒菩薩に同じであるとされ、次のように詠まれています。
 「真実信心うるゆゑに すなはち定聚にいりぬれば 補処の弥勒におなじくて 無上覚をさとるなり」(正像末和讃)   
 弥勒菩薩といいますと、腰かけた姿で左足を下し右足を上げて左ひざの上に置き、右手で頬杖をついている細身の姿を思い浮かべます。

 次の乾陀訶提菩薩と常精進菩薩とは余りなじみのない菩薩方のように思われます。
 辻本敬順氏の「阿弥陀経のことばたち」によりますと、乾陀訶提菩薩は阿閦鞞佛(あしゅくびぶつ)という仏さまのもとで菩薩の道を修められ、「尊貴第一」の菩薩になられた方だと伝えれているということです。
 この阿閦鞞佛は『阿弥陀経』の後の部分に出てくる東西南北上下の六方におられる無数の仏方の、東方浄土の最初に名前が出てくる仏さまです。

 4人目の常精進菩薩は、同じ「阿弥陀経のことばたち」によれば常に求道精進して怠ることがなかった菩薩だとされています。

(写真は東大寺の釈迦三尊像(左)と広隆寺の弥勒菩薩属(右)です。ウイキペディアからお借りしています)
 三尊像では、文殊菩薩は獅子の背に、普賢菩薩は象の背に乗った姿とされていることが多いようです。その動物が智慧と慈悲を表しているようです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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