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311.『阿弥陀経』を読む(12)


20170320ウメ1
   20170320ウメ2

[御文] 幷諸菩薩摩訶薩 (びょうしょぼさツまかさツ)

[訓読] ならびにもろもろの菩薩摩訶薩

[訳文] またすぐれた菩薩たち、

 前回までにお釈迦さまの説法を聞かれた16人のお弟子さんのお名前が出てきましたが、ここからは一緒に聞かれた菩薩方のお名前が出てきます。

 それに先立って述べられているのが今日の句です。
 「菩薩」という言葉はよく聞き、目にしますが、その内容には変遷があったと伝えられています。
 『浄土真宗辞典』によりますと、初期には「さとりに定まった有情(うじょう:生きとし生けるもの)」の意味で、成仏される以前のお釈迦さまを指す言葉だったのですが、その後大乗仏教では、出家・在家、男女を問わず「さとりをもとめて修行する者」の意味として用いられるようになり、さらには、仏道を歩む修行者という意味とすでに仏になったものが衆生を救済するために菩薩の姿をとるという意味を併せ持つようになったと示されています。
 「摩訶薩」も「偉大な志をもつ者」で菩薩のこととされていました。

 そのような菩薩方もお釈迦さまの説法をお聞きになっておられたとここで伝えられています。

 最初の文字「幷」は難しい字なのですが、調べてみると、通常は「へい」と読まれ、「あわせる、ならべる」という意味を持つ字だということが分かりました。これににんべんを加えると「併」で、なるほど、と合点がいきました。

 前回、村上元博士の『仏弟子の告白』により舎利弗さんの言葉と舎利弗さんを讃えた言葉を聞かせていただきましたが、今回もう一人阿難陀さんに関する文を読んでみました。阿難陀さんについては33の詩文が載せられていました。

 阿難陀さんの言葉です。
 「25年の間、私は学ぶ者であったが、官能的欲望の想いは(いかりの想いは)起こらなかった。見よ、ー教えが真理にみごとに即応していることを!」
 「25年の間、私は慈愛にあふれた身体の(ことばの、こころの)行いによって尊き師のおそばに仕えた。ー影が身体から離れないように。」
 阿難陀さんは25年の間、お釈迦さまのおそばに仕えられ、「聞法第一」と称された方です。
 「わたしは、まだなすべきことのある身であり、学習する者であり、まだ心の完成に達しない者であった。それなのに、わたしを慈しみたもうた師は、円(まど)かな安らぎに入られた。」
 「あらゆるすぐれた徳性を具えた覚者が、円かな安らぎに入られたとき、(世の人々に、)そのとき、恐怖があった。そのとき、身の毛のよだつことがあった。」
 お釈迦さまとお弟子さんの心のつながりの強さを感じることができます。それだけに、お釈迦さまが入滅されたときのお弟子さんの悲しみ、嘆きの大きさは、遠く時間を隔てた現在の私たちにも伝わってくる思いがします。

 阿難陀さんを評した言葉です。
 「機敏な才智あり、つねに気をつけていて、しっかりとしている仙人であって、正しい真理の教えをたもち、宝石の鉱脈である長老アーナンダは・・・」

 前回、「わたしは師(ブッダ)に仕えました。ブッダの教えを実行しました。重い荷をおろしました。迷いの生存にみちびくものをねだやしにしました。」という言葉を舎利弗さんの言葉として記しましたが、実はこの言葉は阿難陀さんの言葉としても記されていました。また、他の長老の言葉としてもこの言葉が用いられているようです。
 この言葉は、お釈迦さまとお弟子さんたちとの間にたもたれたつながりの強さを示すもので、多くのお弟子さんがこのように感じておられたのだと思います。
 特に「重い荷をおろしました。」という言葉は、お弟子さんがお釈迦さまに遭われたことをどんなに喜ばれたのかということが分かる言葉だと思いました。

(写真は、前回に続いて紅白梅です)

 右は「玉牡丹」という品種名が表示されていました。左はニワウメという中国原産の種で、一般のウメとは別の種だということです。いずれも京都市の「府立植物園」で撮影しました。
 そういえば、ウメは中国原産の植物で日本には奈良時代以前に既に入ってきていたということです。それで、平安時代頃までは「花」といえばサクラではなくウメのことを指していたのだと聞いたことがあります。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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