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303.『阿弥陀経』を読む(9)

20170220羅睺羅

「御文」「訓読」「訳文」 羅睺羅・憍梵波提・賓頭盧頗羅墮・迦留陀夷 (らごら きょうぼんはだい びんずるはらだ かるだい)

 前回に続き、お釈迦さまの説法を聞かれたお弟子さんのお名前です。

 最初に、羅睺羅(らごら)さんです。
 羅睺羅さんは、お釈迦さまの実子とされる方です。十大弟子の一人とされています。
 お釈迦さまは、出家される前に16歳で母方の従妹と結婚され、10年後に男の子を恵まれます。この男の子が羅睺羅さんです。
 さとりを開かれたお釈迦さまが初めて帰国された時に、実子の羅睺羅さんを出家させられたと伝えられています。学を好む学習第一、微細に戒を守る密行第一と称された方です。

 次いで、憍梵波提(きょうぼんはだい)さん。憍梵波提さんはベナレスの富豪の子だったと伝えられます。
 以前、お釈迦さまの説法を聞かれたと記されているお弟子さんの数1250人について、その「内訳」を記しましたが、これにも色々な説があるようです。三迦葉(さんかしょう)と呼ばれる三人兄弟がお釈迦さまに入信する時に連れて行ったお弟子さんの数は1000人で変わらないのですが、舎利弗さんと目連さんがそれぞれ100人、耶舎(やさ)さんという方の仲間が50人で入信されたという説もあるようです。
 憍梵波提さんはその耶舎さんの友人で、耶舎さんの出家を聞いて自身も出家されたということです。
 戒律を理解することに優れた方で、解律(げりつ)第一と称されるようになられました。お釈迦さまの死を聞いて焼身自殺されたとも伝えられます。
 
 賓頭盧頗羅墮(びんずるはらだ)さん、王舎城のバラモンの子だったと伝えられます。
 説法に秀でた方で、特に仏教以外の人に対する教化の力を持たれ、獅子吼(ししく)第一と称されました。
 また、しばしば神通力をもてあそんだためにお釈迦さまに叱られ、南インドの摩利山に住してお釈迦さまが亡くなった後も衆生を救うように命じられたと伝えられています。そのようなことから、他の宗派ではその像を伽藍の前に安置して、これを撫でると病が治るというような俗信があるのだそうです。

 迦留陀夷(かるだい)さんは、カピラ城の大臣の子としてお釈迦さまと同じ日に生れ、お釈迦さまの太子時代の朋友であった人です。
 後にお釈迦さまがさとりを開かれた時に、使者となってお釈迦さまを故郷に迎え、仏弟子となられたと伝えられます。
 本名を優陀夷(ウダーイン)と言われたそうですが、優陀夷という名前の人が他にもあって、これらの人との異同が議論されているようです。中には、よく問題を起こしてお釈迦さまに叱責された優陀夷さんもいたそうです。

 前回にも書きましたがお釈迦さまの周りには様々な人がおられたのですね。お釈迦さまに叱責された人もおおくあったようで、お釈迦さまのご苦労も偲ばれます。
 「対機説法」という言葉があります。『浄土真宗辞典』では、「仏が相手の素質や能力に応じて適切に教えを説くこと。」「また、このような仏の説法を医者と患者との関係に譬えて、応病与薬ともいわれる」とされています。
 お釈迦さまは、お弟子さんを始め相対する人がどのような悩み、苦しみを抱えているのかということを理解され、さらに相手の能力、理解力も考慮されて教えを説かれたと伝えられています。

(今回の図は羅睺羅さんです)

 お釈迦さまの十大弟子のお一人です。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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