FC2ブログ

292.『阿弥陀経』を読む(3)


20170113祇園精舎

「御文」 一時仏在舎衛国・祇樹給孤独園 (いちじぶツざいしゃえこく・ぎじゅきっこどくおん)
「訓読」 ひと時、仏、舎衛国の祇樹給孤独園にましまして、
「訳文」 あるとき、釈尊は舎衛国の祇園精舎においでになって、
(かっこ内の読み方で「ツ」とあるのは、鼻音といって鼻に抜ける発音をする場所です)

 『阿弥陀経』は最初の部分に入ります。
 経典の内容を整理するのに、「序分」(序説となる部分)、「正宗分」(経の本論)、「流通分」(るずうぶん:教えを伝持流通することを勧める部分)の3段に分ける「三分科」という方法がとられてきました。

 その最初に当たります「序分」(「序説」とも)では教えが説かれた「時」(いつ)や「説者」(だれが)、「処」(どこで)、「聴衆」(だれに対して)などについて記されることになっています。

 これを『阿弥陀経』についてみてみますと、まず「時」は「ひととき(一時)」となっていますが、瓜生津師はこれは「時を限らない」ことだとされています。
 「説者」の「仏」はお釈迦さまです。
 「処」は「舎衛国の祇樹給孤独園」とされています。舎衛国(舎衛城)は当時の北インド第一の繁栄を誇っていた都市だそうで、祇樹給孤独園(略して祇園精舎)はその南西部にあった精舎(仏道修行に精進する者が住む坊舎。寺院)のことです。
 この精舎の地は、もともと舎衛国の祇陀太子が所有していたものを、須達長者(常に孤独な人々に食を給する者という意味で「給孤独長者」と呼ばれた人)という方がが譲り受けて、お釈迦さまに寄進されたところだそうです。祇陀太子もその地にあった樹を献じたところから、「祇樹給孤独園」と呼ばれたと伝えられています。

 中村元氏によりますとお釈迦さまはこの地で24回の安居(雨期に出家者が一定の場所を定めて修行に集中すること)を過ごされるなど、祇園精舎を修行と布教の地とされました。多くの坊舎が建てられ、またこの地でたくさんの人々を教化されたと伝えられています。
 そして『阿弥陀経』もこの地で説かれました。

(写真は2012年当時の祇園精舎の遺跡です)

 大切な修行と布教の地であった祇園精舎は、現在では公園として整備が進められているようですが、残されたたくさんの礎石がお釈迦さまの時代を偲ばせるという状態です。
 『平家物語』の冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という一節から私たちも親しみのある名前ですが、お釈迦さまの時代には祇園精舎では鐘は使われていなかったのだそうです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

カウンター
カテゴリ
検索フォーム
リンク
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR