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289.お正信偈を読む(62):依釈段(39)/結讃(2)


20170102日の出

 ご一緒の学んでまいりました「お正信偈」も結讃4句のうちの最後の2句となりました。

[御文] 道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説 (どうぞくじしゅうぐどうしん ゆいかしんしこうそうせつ)

[訓読] 道俗(どうぞく)時衆(じしゅう)ともに同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

[訳文] 出家のものも在家のものも今の世の人々はみなともに、ただこの高僧方の教えを仰いで信じるがよい。
 
 御文にあります、「道俗」の「道」は僧侶を、「俗」は在家の人々を、「時衆」は「今の世の人々」のことを指します。
 親鸞聖人は、この2句で今の世の人々はみな共に心を同じくして七高僧の教えを信じるようにお勧めになったのです。

 もう一度、お正信偈の構成をみてみますと、最初に親鸞聖人はご自身のご信心を表明され、次いで『大無量寿経』により阿弥陀如来のご本願を讃嘆され、お釈迦さまはがこの世に出でていただき阿弥陀如来のご本願をお伝えいただいたことを讃嘆され、インド、中国、日本の七人の高僧方を通じてお釈迦さまの開かれたみ教えが私たちに伝えられたことを喜ばれ、私たちがこのみ教えを間違いなく受け止めるように勧められています。

 親鸞聖人のご本意は、お釈迦さまによって開かれたみ教えが2500年の後まで伝えられた大きな流れをしっかりと受け止めて、これを次の世代に取り次いで欲しいということだと思います。

 浄土真宗のご門徒さんのお宅では、朝夕にお正信偈をお勤めし、それを幼い頃から耳にし歌のようにして口にしていたとお聞きしました。家を出る時には仏さまに「行ってきます」、帰ってきたら「ただいま戻りました」とお仏壇に向かっていたと仰った方もありました。
 生活の中心に「仏さま」があり、子守歌のようにお正信偈があるという生活が長い間続けられていたのだと思います。

 現実に進展している核家族化、都会化の中でこのような生活を送ることは非常に難しくなっており、ますます困難さを加えると言わざるを得ません。
 その現実の中で、親鸞聖人が私たちに勧められた、お念仏の中で生活することをどのようにして実現できるのか、という大切な重い課題が私たちに与えられていると改めて実感されます。

(写真は、12月30日の日の出です)

 寺の近くに、冬の時期にこのような日の出を見ることができる場所があります。当日の日のでは7時20分過ぎでしたが、手が凍えるような冷え込みでした。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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