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288.お正信偈を読む(61):依釈段(38)/結讃(1)


20161230霊鷲山夕日s

ご一緒に学んできましたお正信偈も最後の4句になりました。結讃と呼ばれる部分です。

[御文] 弘教大士宗師等 拯済無辺極濁悪(ぐきょうだいじしゅうしとう じょうさいむへんごくじょくあく)

[訓読] 弘教(ぐきょう)の大士(だいじ)・宗師(しゅうし)等、無辺(むへん)の極濁悪(ごくじょくあく)を拯済(じょうさい)したまふ。

[訳文] 浄土の教えを広めてくださった祖師方は、限りない五濁の世の衆生をみなお導きになる。
 
 ここで「大士」は菩薩のことだと伺いました。インドの龍樹、天親両菩薩を指します。
 「宗師」は、本宗の祖師ということで、曇鸞大師以下の5人の高祖方を指します。
 「拯済」の拯も済もいずれも「すくう」という意味で、限りない五濁の只中にいてそれから抜けることができない、私たちを救っていただけるとお示しいただいています。

 親鸞聖人は、この2句によって、今から2500年前という遠い昔の時代にお釈迦さまによって説かれた阿弥陀如来のご本願の教えが、七人の高僧方の教えを通じて私たちに届いていただいているということを示されました。

 『正信偈講義』で柏原祐義氏は、(釈尊のみ教えは、)「時を過ぎ処(ところ)を経るに従うて、だんだん盛んになった。この風光(ありさま)は、ちょうど雲とざす深山の谷に湧き出た露のしたたりが、落ち葉をくぐり岩を回って流れるにつれ、何時(いつ)となく水量(みずかさ)を増して谷川の流れとなり、岩をもくだく滝津瀬(たきつせ)となり、さては野辺に出で、静かに四辺の田畑(でんばた)を潤し、村を過ぎ花野を通って、遂には洋々たる大河となって海に注ぐようである。」と記されています。

 氏は、龍樹・天親の両菩薩の時代には落ち葉をくぐる細流であったみ教えは、曇鸞大師の時代には谷を下る早瀬の姿となり、道綽禅師・善導大師のお二人は古今の諸師の誤りを正す断固たる流れとなり、源信和尚は身は天台宗にあって強いて諸宗と衝突することなく暖かく静かに流れ、源空聖人は堂々としてしかも慈母のごとく人びとを導かれたと、それぞれの時代の浄土の教えの姿を眼に見えるように描かれています。

(写真は、2012年にインド霊鷲山で出会った夕日です)

 お釈迦さまはこの霊鷲山で『仏説観無量寿経』を説かれたと伝えられています。
 前回取り上げた写真より時間的には少し前になります。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 
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