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280.別院報恩講にお参りしました

20161202ご講師  20161202コーラス

 11月26~28日の三日間、本願寺山口別院にて報恩講が勤修されました。宇部北組の参拝日の28日に岩﨑明さん、杉山博子さん、坊守と一緒にお参りしました。

 午前中は十二礼のお勤めの後、ご講師の兵庫教区高松寺の谷川弘顕師のご法話をお聞きしました。昼食後には岩国北組の「コールはんじょう」によるコーラス発表があり参拝者一同で『報恩講の歌』を歌いました。引き続き、宗祖讃仰作法(音楽法要)によるお勤めの後、谷川師のご法話をお聞きしました。

 ご講師からは、私たちが護られているということの意味をお伝えいただきました。
 私たちが普通に「護られる」、「自身を護る」というときには、私たちの身の回りに私たちを防御する壁を作って、これをもって護られている、護っていると言っていますが、本当に護られるということはこれとは違うのだとご講師は言われます。

 私たちは救いとって捨てることのない阿弥陀如来のはたらきによって、命が裸になり、私たちが無明の闇の中におかれているということを知らされるのだと言われます。
 そして、私たちは阿弥陀如来のお力によって、誤った見方に動かされず、自分勝手な解釈に遮られず、私たちの思い通りにならない欲にも縛られず、衆生を悩害する悪鬼神にも悩まされないという4つの力をいただくのだと言われました。
 私たちが自身を護るものと思い込んで作っている様々な壁は護る力になりえず、私たちが無力であると知らされたその時にいただく力が実は私たちを護っていただいているのだと伺いました。

 もう一つ印象に残ったご講師のお話があります。
 お浄土にいる6種の鳥の中に共命鳥(ぐみょうちょう)という鳥がいると『仏説阿弥陀経』に説かれています。共命鳥は1つの胴体を持ちながら2つの頭を持つとされている鳥です。
 ご講師は、この鳥は私たちが持つ願いと、それが満たされないことを苦しむ2つの矛盾した姿をあらわしたものだと話されました。六道それぞれで思い通りにならない欲に悩まされている私たちの姿を表しているのだとお示しいただきました。
 お経の中では、他の5つの鳥とともに「昼夜六時、和雅の音を出す」とされて優雅なイメージを持っていたのですが、私たちの欲望の姿を表すものでもあるということを教えていただきました。

(写真は、谷川ご講師と「コールはんじょう」の皆さんです)
 音楽法要の中で、前々回に学びました「煩悩にまなこさへられて・・・」のご和讃を参拝者一同で称することができました。
 また、ご一緒に歌いました『報恩講の歌』の2番の歌詞「一人いてしも 喜びなば 二人と思え・・・・その一人こそ 親鸞なれ」は私の好きな(といいますか、この部分に来ると目頭が熱くなるような)歌詞なのです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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