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277.お正信偈を読む(55):依釈段(32)/源信讃(3)


20161121紅葉谷
 

  しばらく間が空きましたが、「お正信偈を読む」の源信讃(3)です。

[御文] 極重悪人唯称仏 (ごくじゅうあくにんゆいしょうぶつ)

[訓読] 極重(ごくじゅう)の悪人はただ仏を称すべし。

[訳文] 「きわめて罪の重い悪人はただ念仏すべきである。

 源信和尚が著された『往生要集』は後の時代の思想面に大きな影響を与えただけではなく、その影響は文学や芸術の分野に及んだとされています。
 和尚は、この書の最初に地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上という六つの迷いの世界(六道)を描かれ、これに対して迷いの因果をこえたさとりの世界である極楽浄土の素晴らしさを示され、そのうえで往生浄土の実践法として念仏について詳細に説かれています。
 そういう意味では、地獄と極楽を説く部分は『往生要集』のいわば「序文」に当たるのですが、和尚が六道の中でも地獄について特に八大地獄として詳細に描写され、それを受けて地獄を描いた絵入りの本がたくさん刊行されるなどによって、この著書が「地獄と極楽」を描いた書だと一般的に受け止められるようになったということです。

 その「地獄」について『浄土真宗辞典』にたずねると、「自らの罪業の結果として衆生が趣く苦しみのきわまった世界」とされています。
 『往生要集』で示されている地獄に堕ちる因となる罪業を見ると、殺生、偸盗、邪淫、飲酒、妄語などがあげてあり、決して私たちとは関係ないことだと言えるものではありません。現実の生活の中で大小様々な悪を犯さざるを得ない私たちにとって、畢竟その行く先は「地獄」の他ない、御文にある「極重の悪人」とは、私たちの姿そのものだと思い至るのです。

 この私たちが逃れることができない「罪悪性」についてどのように対応することができるのでしょうか。

 すでに学びましたように、聖道門の立場では、修行という自分自身の努力によって自身の罪、煩悩を取り除くことを追求していきました。一方、自身の罪悪は自身の力では除くことができない、仏の他力に依ることによってしかそれはできない、とするのが浄土門の考え方でした。
 源信和尚は『往生要集』に『観無量寿経』の意を引かれて、「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」と記されています。『往生要集』は表面的には聖道門の書とされているのですが、このように和尚は罪悪深重の私たちが救われる道はお念仏しかない、と示され、親鸞聖人は本日の1句ででそのことを讃嘆されているのです。

(写真は、岩国市の紅葉谷公園の紅葉です)

 先日、好天気に誘われて出かけてきました。
 錦帯橋の近くにあるこの公園は紅葉の美しいことで知られています。もう40年近く前になりますが岩国に住んでいたことがあり、それ以来久し振りの紅葉谷でした。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 

 

 
 
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