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274.「御同朋の社会を目指す運動」研修会、協議会

20161111御同朋の社会   20161111御同朋の社会1

 11月9日、小野の宝林寺さんを会所に「御同朋の社会を目指す運動」関連の研修会および協議会が開催されました。「御同朋の社会を目指す運動」に関わる研修会や協議会が開催されるのは初めてのことだと伺いました。

 午前中は、「御同朋の社会を目指す運動」人権啓発推進僧侶研修会が宇部北組の僧侶を対象に開催されました。14名の僧侶が出席し、山口教区の木下教務所長のご講話をお聞きしました。
 木下所長からは、「浄土真宗本願寺派宗制」(宗門の基本法規にあたります)および「宗法」の中で、本宗門が「自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献するものである。」と規定されていることが紹介され、社会に貢献するという宗門の(僧侶の)基本的な使命が示されました。その使命を実現するために「御同朋の社会を目指す運動」の推進が定められ、宗門、教区および組に組織が設けられたという経緯が紹介されました。
 
 午後には、「御同朋の社会を目指す運動」推進協議会が開催されました。この推進協議会には組内の僧侶とご門徒さん合わせて40名近い方々にご参加いただきました。壽福寺からは志賀学さんがご門徒さんとして出席されました。
 最初に木下所長から当日のメインテーマである「開かれたお寺とは?」について問題提起をいただきました。その後、出席者は4グループに分かれて話し合いを行い、その内容を報告し、ご講師よりまとめをいただきました。

 住職は、午前中の司会と午後には閉会の挨拶を担当しました。

 午前、午後を通じて感じたことを記しておきます。

 木下所長は計画を立てて実施する過程で「PDCA」を回すことが大切だという指摘をされました。
 この「PDCA」(のサイクル)を回す、ということは一般の企業ではごく普通に行われることなのですが、宗門の中でこの言葉を耳にしたのは初めてのように思います。会場からの声にもありましたが、戸惑いのようなものがあるのかもしれません。
 所長が言われたかったのは、「計画を立ててやりっぱなしではいけない」ということだと受け止めました。計画して(Plan)、実行して(Do)、その結果うまく行ったのか、あるいは所期の成果が上がらなかったのか、その原因、要因は何だったのか、を確認して(Check)、次の行動につなげる(Action)というサイクルが必要だと言われたのだと思います。
 そのためには現象を定量的に(数値化して)捕らえるということも必要になると思われます。宗教活動にこのサイクルを取り入れることは企業の活動を対象にするのとは違ったアプローチが必要になるかもしれませんが、このような見方も持ちながら活動を推進していくことは必要だと思います。

 午後グループで行われた話し合いの内容が報告されたのですが、やはり多くのグループから「過疎」の問題が指摘されていました。
 これに対して、木下所長から「過疎、過疎と言いすぎるのは自分で自分の元気を削っているようなもの」「過疎のプラス面も考えてはどうか」という指摘がありました。
 ご講師は、過疎のプラス面としてご門徒さんとの距離感が近いことをあげておられました。例えば千人を超えるようなご門徒さんがおられる寺院では、ご門徒さんの個人の顔、人となりはつかみようがないでしょう、ところが「過疎」の寺院では一人ひとりのご門徒さんのことをよく知っておられるはずです。「ご門徒さんが亡くなられたらご住職がすぐに駆けつけることができるでしょう」というご指摘でした。
 これは、私が気づかずにいたことでした。というよりも、至極当たり前のことだと思っていましたが、なるほどそのように見ることもできるのだなあ・・・という思いでした。この観点から寺院や僧侶の役割を捉えなおすことも必要だと思いました。

 「自他共に心豊かに生きる」ということの難しさを改めて感じています。自身が心豊かに生きることも極めて難しいと感じていますが、他の人々とともに心豊かに生きる、ということはどういうことなのでしょうか。
 ここでは、少なくとも、私が他の人が心豊かに生きることができないように行動してはいけない、そのような人がいるのを見て見ぬふりをしてはいけない、とまずとらえるところから始める必要があるように思います。
 ご講師のお話しにもありましたようにこの「御同朋の社会を目指す運動」の基本に差別をしてはならない、という重要な命題が置かれています。例え私が「心豊かに」生きていたとしても、他の人を差別しながら、あるいは他の人が差別されていることから目を背けながら、生きているのであれば、それは私が本当に心豊かに生きていることにならない、ということを常に思い返しながら生きていくことが必要なことだと感じています。

 閉会の挨拶でも少し触れたのですが、昨年の公開講座「寺院公共性」でのご講師の言葉「寺は欲や怒りに連れられて参るところ」が思い出されました。
 私たちは、現実の社会で抑えようのない欲や怒り、不平、不満、愚痴といったたくさんの荷物(煩悩)を背負って生きています。その荷物を背負ったままお寺に来ていただいて、仏さまの前に座り、あるいは法話を聞き、住職と話をすることによって、その荷物のほんの一部でも軽くしていただくことが寺や僧侶の役割なのだろうと思っています。そしてそのような寺を作り維持することにはご門徒さんの協力、支援が必要なことは言うまでもありません。
 ここに、木下所長が言われた「過疎寺院のプラス面」を生かす道もあるように思いました。

(写真は木下所長のご講話とグループでの話し合いの様子です)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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お世話になりました。

 過日はお世話になりました。毎日看護と介護、仕事に追われ、やっと時間が取れたのですが、最後までお話を聞けず、残念に思っておりました。プログを上げて頂き、各班の総括全体会のお話があり、その内容が想像できて、感謝です。
 過疎のプラス面…確かにそうですね。私は「諦念」という真宗の考えが好きです。嘆いても仕方ないことはしっかり受け止め、今、あることから分析して一歩でも前向きに進む生き方…しなやかな心が真宗教義にはあると考えてます。山口県の真宗寺院のほとんどが兼業僧侶…である現実…お寺を訪ねても僧侶は居ない…されど、現実の社会生活を営みながら真宗をお伝えしたいという熱意はあります。よりご門徒さんと近い目線で基本からお伝えしようとしてます。作法や所作の意味、お経の内容…より身近なものだといことを…社会情勢も変化し、核家族化し、また、「家」の宗教というよりも、本来の「個人の宗教」…生き方…に触れる教えをお伝えしなければ…それが車座話し合い活動やご法事の何気ないお話から最近感じていることです。まだまだ勉強ですが、よろしくご指導ご鞭撻をお願いいたします。実践運動こそが親鸞上人がお伝えされた道ではないかと。今度ははやりのESD(Education for Sustainable Development)ー持続可能な開発のための教育ーで、問題点の明確化を話し合いましょうか?笑
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