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267.お正信偈を読む(54):依釈段(31)/源信讃(2)

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 前回に続いて、親鸞聖人が源信和尚を讃嘆された「源信讃」の2回目です。

[御文] 専雑執心判浅深 報化二土正弁立 (せんぞうしゅうしんはんせんじん ほうけにどしょうべんりゅう

[訓読] 専雑(せんぞう)の執心(しゅうしん)、浅深(せんじん)を判じて、報化(ほうけ)二土(にど)まさしく弁立(べんりゅう)せり。

[訳文] さまざまな行をまじえて修める自力の信心は浅く、化土(けど)にしか往生できないが、念仏一つをもっぱら修める他力の信心は深く、報土(ほうど)に往生できると明らかにされた。

 親鸞聖人が七人の高僧を選ばれるに当たって、「独自の特徴のある考えを加えられた」こと(発揮)を念頭に置かれたとされています。源信和尚のご功績は「報化二土」とされていて、本日の2句がその内容を要約したものになっています。

 まず、「専雑の執心」の専雑は「専修(せんじゅ)」と「雑修(ざっしゅ)」のことです。専修はもっぱら阿弥陀如来の本願を信じてただ念仏すること(人)で、雑修は念仏だけではなく他の雑多な行をまじえて修めること(人)のことだと伺いました。阿弥陀如来のご本願によって間違いなく救われるのだということについて疑いを持ち、雑行に頼ってしまう私たちの姿が示されています。
 また、「執心」を『浄土真宗辞典』で調べてみますと、「執着心」と「信心」の二つの意味が記されています。今回の第1句に使われている執心は後者の意味で、源信和尚は「専修は他力の信心で深く、雑修は自力の信心でそれは浅いものである」と双方の浅深を分けられました。

 第2句の「報化二土」は、「報土」と「化土」のことで、他力念仏の行者が生まれる阿弥陀如来の本願に報いられた浄土が報土、ご本願に疑いをもった自力の行者が生まれる浄土の中の辺地が化土です。
 そのことを源信和尚は弁立(明らかに示)されたのだと親鸞聖人は述べられています。

 源信和尚は、44歳のころ、『往生要集』という書を著されました。
 『往生要集』は、和尚が属しておられた天台宗の立場に立って書かれたものですが、第5祖の善導大師の教えを受け入れて書かれているところに大きな特徴があると伺いました。『往生要集』は、比叡山で善導大師の教えを最初に取り入れた書物であり、後年法然聖人がこの書を高く評価された所以でもあります。

 この『往生要集』の中で、源信和尚は、執心牢固な専修の人が生まれるのが極楽国(報の浄土)、執心不牢固の雑修の人が生まれるのが懈慢(けまん)国(化の浄土)だとされ二土に生まれる原因の違いを明らかにされたのですが、ここで言われている「化土」は善導大師の時代に議論された報土、化土の「化土」とは少し違っていることを教わりました。
 善導大師の議論の中の化土は、阿弥陀如来の浄土が報土(真実の浄土)であるのか化土(凡夫のための仮の浄土)なのかという報化二土論なのですが、源信和尚は阿弥陀如来の浄土(報土)の中にもさらに報土と化土とがあるとされ、専修、雑修の得失を示されたのです。

(写真は、焼野海岸の夕日です)

 山陽小野田市にあるこの海岸は夕日が美しいことでも知られています。新聞をお配りしていて出遭いました。しばらく眺めていたものですから、その後、お宅に新聞をお持ちするのが日が落ちてからになってしまいました。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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