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265.六連島西教寺さんにお参りしました

20161010西教寺2   20161010西教寺

 昨日、下関市の六連島の西教寺さんにお参りさせていただきました。

 西教寺さんは、「六連島のお軽さん」と呼ばれた女性がご縁を持たれたお寺です。
 このお軽さんを紹介した、伊藤智誠氏著の「妙好人めぐりの旅 親鸞聖人と生きた人々」というご本があります。下関市にこのような方がおられたということを知って、是非その地を訪ねたいものだと思っておりましたが、それが昨日実現しました。

 このご本によりますと、お軽さんは1801年に六連島で生まれ、1856年同じ六連島でご往生された方です。
 なかなか勝気な人だったようで、そのために婚期が遅れたというエピソードが同書に紹介されています。そんなお軽さんもやさしい青年幸七さんと結婚するのですが、幸七さんは行商に出ていた北九州で愛人を作って村に帰って来なくなったのだそうです。お軽さんのきつい性格に嫌気がさしたのではないか、と著者の伊藤氏は言っておられます。
   
 嫉妬と怒りに苛まれるような逆境に苦しむお軽さんは西教寺の当時の住職に救いを求められます。同書には住職がお軽さんに話した「幸七さんの浮気はあんたの為にかえってよかった」という言葉が記されています。強気のお軽さんですから、この言葉にカッとなって帰ってしまったこともあったそうですが、住職の言葉によって傲慢で勝気なお軽さんは変わっていかれたのだといいます。

 「きのう聞くのも今日また聞くも ぜひにこいよのおよびごえ」
 「よきこころあるかとむねをたずぬれば ただはずかしの心ばかりぞ」
 「私しゃ自在鉤 阿弥陀さまこざる 落としゃなさらぬ 火の中に」
 同書に紹介されたお軽さんのうたです。
 阿弥陀さまに見守られている私、それに気づかず傲慢だった私、そんな私でも阿弥陀さまは見捨てることはないということに気づかされた喜び、このようなことにお軽さんは気づかれたのでしょう。

 奉公に出した息子さんに宛てて書かれた手紙の一節です。
 「私もそなたも身は不定。今は一夜のかりの宿。やがてたがいの親里へかえるあいだの身のつとめ。朝は早起宵寝をせずに・・・」

 六連島は下関の竹崎渡船場から船で約20分、玄界灘に浮かぶ周囲約5キロメートルの島で、西教寺さんは六連島の桟橋から坂道を10分ほど登ったところにありました。
 現在は、島では花が盛んに栽培されていて、あちらこちらにビニールハウスを見ることができますが、お軽さんの頃は農業と漁業で生活を支えていたのだろうと想像される島です。

 実際に歩いて気づいたのですが、六連島では石垣は石を亀甲面で組み合わせたものではなく、平らな石を水平に積んだ形になっており、独特の風景となっています。西教寺さんもこのような石垣の上にありました。静かな環境で、お軽さんが通われた時代を偲ばせるお寺でした。

(写真は、独特の石垣と西教寺さん、および「私しゃ自在鉤・・・・」のうたと自在鉤)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 
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