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257.お正信偈を読む(51):依釈段(28)/善導讃(4)


20160912吉部
   20160912吉部2

「御文」 開入本願大智海 行者正受金剛心 (かいにゅうほんがんだいちかい ぎょうじゃしょうじゅこんごうしん)

「訓読」 本願の大智海(だいちかい)に開入(かいにゅう)すれば、行者まさしく金剛心(こんごうしん)を受けしめ、 

「訳文」 (善導大師は述べられた)「本願の大いなる智慧の海に入れば、行者は他力の信を回向され、

 親鸞聖人が善導大師を讃嘆された善導讃は残り5句となりました。親鸞聖人は、この5句で、善導大師が示された、南無阿弥陀仏の「名号」が因となり、阿弥陀如来の智慧である「光明」が縁となって他力の本願をいただいた私たちが得ることができる利益についてお示しいただいています。
 
 今回の2句では、全ての人びとを救うと誓われた阿弥陀如来の深くて広い智慧の働きが「海」にたとえられていて、私たちがこの海に入れば私たちは「金剛心」を受けると大師は示されます。
 この「金剛」はダイヤモンドのように堅固で壊れないもの、「金剛心」は決して破られることのない他力の信心を指しています。
 「行者」は念仏の行者、他力の本願をいただいた私たちのことになります。

 『観無量寿経』について、善導大師がそれまでの聖道門の諸師の解釈に対してその誤りを指摘された二つめは、阿弥陀如来とその浄土に関する理解についてだったとお伺いしました。

 聖道門の諸師は、真実の仏や浄土は凡夫には見えないもので、自力の修行を積んで仏の智慧に近づいたものが初めて目にすることができるのだとされてきました。従って凡夫が知見することができる仏や浄土は、凡夫のための仮の仏であり仮の浄土であって真実の仏や浄土よりも劣るものだとされました。

 これに対して、善導大師は、真実の仏とは衆生を救う仏であると主張されました。大師は、「十方衆生を往生させることができなかったら、私は仏にはならない」と誓われて完成された阿弥陀如来こそが真実の仏であって、決して仮の仏などではないのだと説かれました。

 前回学びましたことを含めると、善導大師は、それまでの聖道門の諸師方の理解に異を唱えて、『観無量寿経』で説かれた救いの対象は凡夫であり、凡夫を救っていただく阿弥陀如来は真実の仏であり、その浄土は真実の浄土であるということをお示しいただいたことになります。

(写真は、先日出遭った夕日です)

 棚田の稲が実り、もうすぐ稲刈りの時期を迎えます。この時期の夕刻の風景は一日の終わりを感じさせ、ホットさせてくれます。

(このブログについて、字が小さくて読みにくいというご意見をいただきました)
 
 まず、ブログを読んでいただいていることにお礼を申し上げ、併せて、ご意見をいただいたことにも重ねてお礼申し上げたいと思います。
 なのですが実は、ブログの記事が画面に表記される場合、こちらで字の大きさを変える方法がよく分からないのです。ひょっとすると、こちらの作成する方での設定はできないのかもしれません。もう少し調べてみますが、恐れ入りますがとりあえずお使いのパソコンの画面で字を拡大する方法で調整していただければと思います。
 私の端末では、歯車状の「ツール」のアイコンをクリックして拡大縮小ができます。
 ただその場合、拡大された写真がずれてしまう、というような現象が起きる可能性もありますが・・・

 またお気づきのことがありましたら、ご指摘いただきますようお願いいたします。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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