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255.秋の法座をお勤めしました

20160905集合写真 

 昨日9月4日、ご講師に上原泰教先生をお迎えして秋の法座をお勤めしました。

 上原先生は2013年の報恩講以来久し振りのご出講でした。先生は今年88歳になられたのですが、お元気な声でお話になり、一同は先生のお話しに引き込まれるようにしてお聞きしました。

 先生の子供時代からのご友人の逸話が印象に残っています。
 その友人は非常に優秀な方だったそうですが、仏教や宗教に対して不信感を持っておられ、上原先生のお話しにも耳を貸そうともされなかったということです。それでも気のあうお二人は酒を酌み交わす間柄でもあったそうです。
 その友人は後にがんを患い、思わぬところからご自身の死期を知ることになります。そんなことから、上原先生に仏教の話を聞かせてもらいたいと何度も言ってこられたのですが、上原先生はお会いにならなかったと仰っておられました。
 濁った水の入った盃に清い水を注いでも、盃の水は清くはならない、一度盃の濁った水を全て流し捨ててから清い水を注いで初めて清い水をたたえることができる、という先生の言葉が強く印象に残っています。先生はその友人が誤った見方を自分から捨て去ることを待っておられたのだと伺いました。親しいご友人ですから、辛い思いを持ちながらその時をお待ちになっていたことだと思います。

 その後、先生は期をみて友人に「正信偈」のお話しをしていかれたのだそうです。その友人の心に先生がお話しされる「正信偈」のお話しは沁みとおっていったことと思われます。
 その友人は死を前にして「煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」の句を口にされていたと、先生は仰っておられました。ご友人は、「自分は煩悩にさえぎられて阿弥陀如来のお救いの光を見ることができずにいたけれど、それでも如来の光は私を捨てずに照らしていただいていたのだ」ということに思い至り、お浄土に帰られたのだと伺いました。

 「煩悩にまなこがさえぎられている」ということを先生はご友人のお話しとしてお話しいただきましたが、翻って考えてみますと、私たち自身の常の姿だということに気づかされました。それは、おれがおれがと自らを頼み、むさぼり怒る私の姿。濁った水が盃にたまる一方の私の姿です。
 このような姿に気づいてもらいたいと、先生はご自分の体験をお話しいただいたのだと思い至りました。
 
 今回のお斎の準備は仏教婦人会の伊佐地区の会員の方にお願いしました。杉山会長、井上副会長を含む7名の方に、秋の法座伝統の「そうめん」の準備、お給仕、後片付けをお願いしました。美味しいそうめんをみなさんおかわりしていました。
 有難うございました。

  20160905仏婦
お斎の準備でお世話になった仏教婦人会の方々です。左から、岩崎さん、井上さん、井上副会長、杉山会長、石川さん、伊勢野さん、古川さんです。

 また、今回予定していました「勉強会」は、近づいている台風に対する準備も必要だろうということで、残念ながら中止としました。

(写真は恒例の集合写真です。本堂での撮影となりました)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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