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251.お正信偈を読む(49):依釈段(26)/善導讃(2)

20160822善導大師古塔

「御文」 矜哀定散与逆悪 (こうあいじょうさんよぎゃくあく)

「訓読」 定散(じょうさん)と逆悪(ぎゃくあく)とを矜哀(こうあい)して、

「訳文」 (善導大師は)善悪のすべての人を哀れんで、
 親鸞聖人が善導大師を讃嘆された「善導讃」の2回目になります。

 前回の善導讃(1)で、善導大師が『観無量寿経』に出遭われたことを学びました。
 この『観無量寿経』については追ってその内容を学びたいと思いますが、概略の内容を見ておきたいと思います。

 『観無量寿経』は、インドの王舎城で起こった悲劇にかかわってお釈迦さまが韋提希夫人(いだいけぶにん)のために説かれたお経です。
 夫である王とともに子供の王子に捉えられ嘆き悲しむ夫人は、お釈迦さまに「どうか世尊、わたしのために憂いも悩みもない世界をお教えください。わたしはそのような世界に生まれたいと思います。・・このわたしに清らかな世界をお見せください。」と懇願します。
 お釈迦さまは韋提希夫人に、精神を統一して浄土と阿弥陀仏や菩薩たちを観想する定善(じょうぜん)観法十三観を説かれます。さらにお釈迦さまは、精神を統一しないままで修する散善(さんぜん)三福(世福=世俗の善、戒福=小乗の善、行福=大乗の善)を説かれました。
 そしてお釈迦さまは、この三福も修することができない者、下品(げぼん)の「悪人」、のために念仏の教えを説かれます。
 五逆や十悪を犯した悪人も、「心から声を続けて南無阿弥陀仏と十回口に称えると、(略)長い間の迷いのもとである罪が除かれ」「いよいよその命を終えるとき、(略)たちまち極楽世界に生まれることができるのである。」とお釈迦さまは説かれたのです。

 今回の句にある「定散」はこの定善と散善の二善のことで、いずれも自力に頼って善行を修める人ということになります。また「逆悪」は以前も出てきました五逆と十悪の悪人ということになります。
 善導大師は、このように自力の修行を行える者も、できない者も、さらに五逆十悪の悪人をも哀れみ、全ての者が救われる教えが『観無量寿経』に説かれているとお伝えいただいたのです。

(写真は、中国の「香積寺」の善導大師古塔と呼ばれる遺跡です)

 この写真は『浄土真宗聖典(七祖編)』のカバーに使われているものです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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