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248.お正信偈を読む(48):依釈段(25)/善導讃(1)


20160812善導大師s   

 「お正信偈を読む」は、親鸞聖人が善導大師を讃えられた「善導讃」に入ります。

「御文」 善導独明仏正意 (ぜんどうどくみょうぶっしょうい)

「訓読」 善導(ぜんどう)独(ひと)り仏の正意(しょうい)をあきらかにせり。

「訳文」 善導大師はただ独り、これまでの誤った説を正して仏の教えの真意を明らかにされた。

 お正信偈はここから拝読の節が変わってきます。音程はそれまでのハ長調の「レ」を中心にした節からハ長調の「ソ」で始まる節、特に行譜では独特のメロディーで拝読します。そんなところからこの「善導独明仏正意」の1句は非常に印象に残る句です。

 しかも、この句が「善導独り仏の正意をあきらかにせり」という「衝撃的な」(「レッツ正信偈」)内容です。
 親鸞聖人は、善導大師はただお一人「仏の正意を明らかにされた」と讃えられているのです。

 七高僧の第五祖に当たられる善導大師は、今から約1400年前、隋の時代の中国にお生まれになりました。日本では聖徳太子が仏法を広められた時代に当たります。
 隋から唐に至る当時の中国は仏教が興隆した時期で、『観無量寿経』(『観経』)が注目を集めていた時代でありました。当時の聖道門の諸師方はそれぞれ自力の立場から『観無量寿経』を講義されていたということです。

 そのような時代環境の中で出家された大師は、『観無量寿経』に出遭われてこれこそが自分の進むべき道だと思い定められたと伝えられています。しかし、大師は聖道門の立場から見た『観無量寿経』の解釈には満足されておられませんでした。そのようなときに大師は道綽禅師にお遭いになります。
 道綽禅師の解釈は、『観無量寿経』は凡夫が本願力によって往生を得ることを説いているとするもので、善導大師はこれこそがご自身が求めておられた教えだと確信をされました。

 大師は『観経疏』を著されてご自身の『観無量寿経』に対するご理解を示されました。
 大師は、この『観経疏』の中で「某(それがし)、いまこの『観経』の要義を出だして、古今を楷定(かいじょう)せんと欲す」と記されています。
 ここでの「古今」とは善導大師の当時やそれ以前の聖道門の諸師のことで、「楷定」とは手本・規準を確定するという意味だと伺いました。
 善導大師は、『観無量寿経』に対する古今の諸師の見解の誤りを改めて、規範とすべき正しい解釈を定めたいと述べておられます。

 次回以降で、諸師の見解と善導大師の解釈との違い、それを親鸞聖人がどのように受け止められたのか、ということを学びたいと思います。

(図は、寺の善導大師のご絵像です)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

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