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247.お正信偈を読む(47):依釈段(24)/道綽讃(5)


20160808ウバユリ
    20160808ウバユリ2 

 親鸞聖人が道綽禅師を讃えられた「道綽讃」も今回が最後となります。

「御文」 一生造悪値弘誓 至安養界証妙果 (いっしょうぞうあくちぐぜい しあんにょうがいしょうみょうか)

「訓読」 一生悪を造れども、弘誓(ぐぜい)に値(もうあ)ひぬれば、安養界(あんにょうかい)に至りて妙果(みょうか)を証(しょう)せしむといへり。

「訳文」 「たとえ生涯悪をつくり続けても、阿弥陀仏の本願を信じれば、浄土に往生しこの上ないさとりを開く」と述べられた。
 
 ここに述べられている「悪」の中身として次のようなことが挙げられています。
 ・生き物を殺す、・ぬすみ、・よこしまな性の交わり
 ・うそいつわり、・人を仲たがいさせる言葉、・ののしりの言葉、あらあらしい言葉、・まことのないかざった言葉
 ・むさぼり、我欲、・いかり、・おろかさ、真理に対する無知
 そのうち、最初の3つは身業、続く4つは口業、最後の3つは意業とよばれています。それぞれが身に行う業、口に言う業、心に思う業ということを示しています。

 生涯にわたってこのような悪を犯す「悪人」でも、阿弥陀如来のご本願に遭うことができれば、この上ないさとりを得ることができると道綽禅師は述べられた、と親鸞聖人は讃えられています。
 この「悪人」、よほど悪い人、とつい考えてしまいますが、よく考えてみればこれは私たちの姿なのだと思い至ります。上記の十の悪をどれ一つ犯したことがない人はいません。毎日の生活を振り返ってみても、私たちは「普通に」生きていても「悪」から自由になれずにいます。

 末法の世に生き、このような悪を犯すほかない、そのような私たちが救われるのは阿弥陀如来のご本願におすがりするしかないのだと、禅師はおしめしいただました。

 ここに出てきました「値(ち)」という言葉ですがこれは「値遇(ちぐ)」の意味で、「出あう」こと、阿弥陀如来の本願力に出遭わせていただき、信じることだと伺いました。

(写真はウバユリです)

 ちょうど今頃、少し暗い森の端に咲いている植物です。名前の通りユリ科の植物なのですが、葉はこれがユリ科かと思うような独特の形をしています。花も筒状のままで開かず派手ではないのですが、この花を見ると夏が来たと季節感のある植物です。
 名前の「姥百合」は、花が咲くころには葉(歯)が枯れていくというところからつけられた、という説がありましたが、写真で見ると葉はしっかりついているようにも見えます。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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