FC2ブログ

243.お正信偈を読む(46):依釈段(23)/道綽讃(4)


IMG_0994 (2)
  IMG_0939.jpg

 親鸞聖人が道綽禅師のご功績を讃嘆された道綽讃の4回目となります。

「御文」 像末法滅同悲引 (ぞうまつほうめつどうひいん)

「訓読」 像末(ぞうまつ)・法滅(ほうめつ)同じく悲引(ひいん)す。

「訳文」 正法・像法・末法・法滅、いつの時代においても、本願念仏の法は変わらず人々を救い続けることを明かされる。

 道綽禅師を讃嘆された偈文の第一回目で学びましたように、禅師はお釈迦さまはがお隠れになられて1500年、時代は末法の世だという認識を根底に持っておられました。

 仏教では、三時思想という時代観が次のように説かれています。
  正法:み教えとそれを実践する行とさとり(証)のいずれもが具(そな)わった時代
  像法:教と行はありますが、さとりが完成できない時代
  末法:教のみあって行と証のない仏教衰微の時代
  法滅:正・像・末の三時が終わり、仏法がこの世から滅びること

 禅師はこの末法の時代に私たちが救われていくには阿弥陀如来のご本願にお任せする以外に方法はないのだとお示しいただいたのですが、この本願念仏の法は法滅に至っても私たちを救い続けていただくとされたのだとされています。
 (御文にあります「非引」は「慈悲引導」のことで、慈悲をもって導くという意味だと伺いました。)

 これはお釈迦さまはが『無量寿経』の最後の部分で、「やがて将来、わたしが示したさまざまなさとりへの道はみな失われてしまうであろうが、わたしは悲しみの心をもって哀れみ、特にこの教えだけをその後いつまでもとどめておこう」と述べられたことを承けられた禅師のお示しです。

 思い返してみますと、親鸞聖人もご自身の時代を末法の始まりととらえておられました。道綽禅師が正法の時代を500年とされたのに対して、聖人はこれを1000年とされたことによるのですが、この末法の世で衆生が救われる道は阿弥陀如来のご本願による以外にはないのだとされる禅師の教えは、親鸞聖人の時代認識と強く響きあうものであったと思われます。
 『教行信証』で聖人は「聖道門のさまざまな教えは、釈尊の在世時代と正法の時代のためのものであって、像法や末法や法滅の時代とその人々のためのものではない」「浄土の真実の教えは、釈尊在世の時代にも、正法や像法や末法や法滅の時代にも変わりなく、煩悩に汚れた人々を同じように慈悲をもって導いてくださる」というお言葉を記されています。

(写真は一昨日見かけた蝶、カラスアゲハでしょうか、瑠璃色の美しい蝶でした)

 不思議な光景を見かけました。
 この場所はいつも道路に水が流れていて昆虫たちの「水飲み場」のようになっているところです。車で通りかかって、いつもより多くの蝶が集まっているので不思議に思って近寄ってみましたら、1羽(蝶は1頭?)の蝶の死骸があって、その周りに蝶たちが集まっているように見えました。一番多いときには8羽もいました。
 まさか仲間の死骸に集まっているというようなことはないだろうと思って、その死骸をそばの草むらに移してみました。すると蝶たちは姿を消したのですが、もう一度その死骸をもとの水飲み場に戻したところ蝶たちはもう一度集まってきたのです。
 地面に止まった蝶は最初は忙しく羽を動かしていたのですが、しばらくすると羽の動きを止めてじっとしています。そのうちの1羽は、仲間の死骸のそばにずっと付き添っているような様子を見せていました。
 まるで蝶たちが死んだ仲間を追悼しているように見えましたが、そんなことがあるのでしょうか。不思議な光景でした。

 右の写真の左にみえるのは、蝶の死骸とそれに寄り添う(?)ように見えたもう1羽の蝶です。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください) 
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

カウンター
カテゴリ
検索フォーム
リンク
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR