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お正信偈を読む(44):依釈段(21)/道綽讃(2)

 20160715ハス2   20160715ハス

 44回目の「お正信偈を読む」は、親鸞聖人が道綽禅師を讃えられた道綽讃の2回目となります。


「御文」萬善自力貶勤修 円満徳号勧専称 (まんぜんじりきへんごんしゅう えんまんとくごうかんせんしょう)

「訓読」萬善(まんぜん)の自力、勤修(ごんしゅう)を貶(へん)す。円満の徳号(とくごう)、専称(せんしょう)を勧(すす)む。

「訳文」(道綽禅師は)自力の行はいくら修めても劣っているとして、ひとすじにあらゆる功徳をそなえた名号を称えることをお勧めになる。
 
 前回、道綽禅師は仏道を聖道門と浄土門に分けられ、末法の世では私たちがこの世において修行をなしてさとりを得るという聖道門の自力の教えは困難であり、浄土門の他力の教えによってのみさとりを得ることができるとお示しになったことを学びました。
 これから禅師はその浄土門の教えについて示していただきます。

 「萬善の自力」は、念仏以外の全ての自力で行ずる諸善万行、聖道門のことを指すと伺いました。これは末法の時代の私たちにとっては不可能な行であることからこれを勤修する(つとめる)こと貶さ(おとしめ)ざるを得ません。
 一方、「円満の徳号」は、あらゆる功徳が満ちている本願他力の名号のことです。禅師は、私たちにはこの名号、南無阿弥陀仏を称えることをお勧めいただいたのです。

 前回に学びましたように、禅師は幼少の頃には仏教に対する苛烈な弾圧を経験され、また飢饉や国家の盛衰を目の当たりにされました。禅師はこの末法の世の中でさとりを得ることを求めて、戒律を守り仏道修行に励む自力の道を追及されたのですが、その方法では煩悩を断ずることも、さとりを得ることも不可能だということを強くさとられました。
 この末法の時代の人々にふさわしい道が必要だと考えられていた禅師が出遭われたのが念仏のみ教えだったのです。

(写真は、先日ご門徒さんからいただいたハスです。)

 普通のハスよりも小ぶりのハスだということです。本堂前に置いています。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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