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239.夏法座をお勤めしました


20160711夏法座

 昨日10日に夏法座をお勤めしました。
 前日までは雨という天候でしたが、当日は蒸し暑いながらも雨はなく、33名の方にお参りいただきました。

 ご講師には甲南の明照寺の岡原弘和師を初めてお迎えしました。

 ご講師からは、阿弥陀如来が私たちに向けていただいている、智慧の光と慈悲の光についてお話をお聞きしました。

 私たちは何をもって幸せとしているのでしょうか、とご講師は問われます。
 お金、健康、長寿・・・容易に思いつくこれらの「幸せ」は一見私たちに幸せ感をもたらしてくれますが、どれも永遠に保たれるものではありません。さらにはこれらを手に入れよう維持しようと(無駄な)努力をし、それを手に入れようと時には争いあい、手に入らなければ怒り狂うという、まことに「危うい」幸せなのだと、ご講師は言われます。
 そのような「幸せ」を求めて這いずり回る私たちの姿を映していただくのが阿弥陀如来の智慧の光で、その光に照らされて、私たちがあてにならない「幸せ」を求めていることを知らされるのだとご講師は仰いました。

 私たちは一瞬もとどまることを知らずに時々刻々変化し続けます。私たちは、その結果としての「老病死」という現象を「幸せ」でない状態、「苦」ととらえて、それをなんとか逃れたいと考えてしまいます。私たちにとって「死」はその「苦」の究極の姿であり、その向こうに何があるのか、どこに向かうのかがまったく見えないことから、おののき、恐れ、なんとか忌避したいと考えます。
 しかし、お釈迦さまは、「労病死」は私たちが人間である限りどうしても避けることのできない「苦」なのだと示されました。お釈迦さまは、その最大、最終の「苦」である「死」に恐れおののく私たちに、ちょうど親が子にむけるまなざしのように阿弥陀如来が「間違いなく救う、一人残さずに救う」と願っていただいているのだとお示しいただきました。
 これが阿弥陀如来の慈悲の光なのだとご講師は示されました。

 私たちの本当の「幸せ」というものは、このように阿弥陀如来の智慧の光の中で私たちの真の姿を知り、阿弥陀如来の慈悲の働きによって苦の世界から救われる姿なのだと学ぶことができました。

 午後には、前回中止しました勉強会を開催し、「天親讃」の部分をご一緒に学ぶことができました。
 当日はお斎を準備していませんでしたから、参加者は手作りのお握りで腹ごしらえをして勉強会に参加することができました。

(写真は、恒例の集合写真です。今回は雨もなく、向拝で撮影することができました。)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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