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224.「平和に関する論点整理」(11)


20160520ユズ2
   20160520ユズ

 ご一緒に学び考えてきました、「平和に関する論点整理」も最終となりました。
 そのⅩ.(10)章には次の一文が記されています。

Ⅹ.念仏者の具体的行動とは?
 「念仏者には、どのような具体的な平和の実現のために、どのような具体的な行動が可能でしょうか?」

 本文では、仏教の教義から求められる殺生や戦いを否定する立場と、複雑な国際関係の中で我が国だけが全ての軍事力を廃絶することはできないという現実、のはざまで私たちはどのような行動をとることができるのかという問いが発せられています。

 そして、「仏教の真理観に照らして言えば、個人の心の平和を築いていくと同時に、あらゆる国々が自国の自己中心性を克服していこうという文脈で考えられるべきでしょう。更に言えば、世俗の中で矛盾を抱えながら生きる念仏者ならではの役割は、世間で常識とされている価値の転換をうながすところにあるとも言えます。」とされています。

 私は、この「論点整理」を通じて重要な点は、私たちが、矛盾を抱えながら生きなければならない存在である、ということなのだと改めて実感しました。この点を判断の出発点にすることが必要なのだと思っています。

 戦争と平和の問題だけではなく、現実の私たちはお釈迦さまが説かれた教えとは矛盾しながら生きています。そうせざるを得ないというのが現実なのです。
 そこで、この状態に対する対応は基本的には二通りとなるように思います。
 その一つは、この矛盾から目をそらせて一方だけに足場(現実の生活のことを考えると、足場はお釈迦さまの教えとは違った方に置かれることになるでしょうが)を置いて矛盾はなくなったとし、さらにはそれがお釈迦さまの教えに従ったものだとする対応です。いわば矛盾を「解消」してしまうということになります。
 もう一つの対応は、私たちは矛盾の中で生きることを逃れることはできない、という自覚、あるいは慙愧の念を持ち続けることだと言えます。お釈迦さまの教えは常に時代の価値観に転換を求めるものであり、私たちは常に時代に対して矛盾を感じながら生きることが求められています。

 後者の、矛盾を自覚し続ける立場からは、次のような行動が可能になるように思います。
 ・時代の大勢、風潮に安易に迎合しないという姿勢を持ち続けること
 ・私たちが属しているのとは別の、互いに利害が衝突するグループの中で同じような矛盾を感じながら生きている人びと(それは仏教徒に限られるものではなく、多くの宗教者が含まれていると思います。宗教というものは本質的にこのような矛盾を内に持ちながら生きることを要請するものですから)に働きかけること
 ・自分のみが真理だという思い込みを避けて、他者の主張に耳を傾けること

 このようなことを通じて、今後想定される緊張状態の中で「後戻りできない一点」を超えてしまうことに対する抑止力となることができるように思います。

(写真は、ユズの花です。)
 
 昨年のちょうど今頃、荒滝山の登山口で咲いていました。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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