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214.平和に関する論点整理(9)


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 前回に続く「平和に関する論点整理」で、文書のⅧ.章になります。

Ⅷ.武力の否定と日本の平和
 「仏教の見方から日米安全保障条約も自衛力(軍事力)も容認できないとした場合、国の独立と安全、国民の生命・財産・自由(信教の自由を含む)は確保されうるのでしょうか?」

 ・いたずらに脅威を煽る言説には注意が必要である。
 ・日米安保だけではなく国連の軍事的枠組が抑止力となっている。
 ・軍事力を容認できない場合、国の安全や国民の生命を保証することはできない。
 ・軍事力があっても、国の安全や国民の生命の完全な保証とはならない。
 ・平和は状態でありながら運動とならざるをえない面がある。
 ・仏教には、人命や財産が失われても、武力を用いないという考え方がある。

 この「論点整理」には、互いに対立する考え方をあえて並べて記してあるという説明が最初にありました。
 そのようにすることによって、多面的な見方の中で、私たちが自分で考え方を整理することが期待されているということでしょう。
 特に、「軍事力」の評価については、全く違った見方が可能なのだということを今回の論点整理を読んでいて改めて感じます。

 ○軍事力を否定したら、国と国民の安全は守れない。
 ○軍事力があっても、完全な保障とはなりえない。
 ○また、自国の軍事力だけではなく、同盟国や国連の軍事力に期待するという考え方も現実的な対応としてありうるということも示されています。
 ○さらには、軍事力以外の手段で国と国民の安全を守る手法についても触れられています。
 ○さらには、軍事力(武力)を否定しその結果、国や国民の安全が全うされなくてもよし、とする仏教の徹底した平和主義も取り上げられています。

 このような論点を検討すると、我が国の平和(戦争のない状態)が、軍事力の均衡と軍事力以外の要因で辛くも維持されているという現実はどうしても無視することはできないように思います。
 この現実を前にして、前回の論点でいうと、軍事力の必要性を「暫定的には」認めて、その縮小を追求していくという対応が最も現実的なものではないかと思われます。
 日本の経済力、外交努力、文化の力、さらには日本人に対する好意といったものも含めた非軍事的な力も大きな役割を果たしていますので、それらをさらに強化して、軍事力に置き換わることができる力に変えていくという努力が求められているように思います。

 複雑極まりない現実の国際政治の中では、簡単には正解は見つからないと思われます。
 逆に、簡単明瞭に提示された「正解」に対しては十分に注意を払いながら見ていく必要があると思います。また「論点」にもありますように、「いたずらに脅威を煽る言説」(これが簡単な正解を導く入り口になることが多いのですが)にも十分に注意をしていかなければならないと思います。

 このためには、やはり日本が前の戦争に突き進んで行った過程、それを止める力がなぜ発揮できなかったのか、といった過去についてもう一度見直す必要もあると改めて思います。

(写真は、荒滝山で撮影したリンドウです。)

 毎年、この時期に見ることができる小さなリンドウで山歩きの楽しみの一つです。ハルリンドウという種だと思われますが、確信はありません。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください) 
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