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213.平和に関する論点整理(8)


20160411カイドウ1
   20160411カイドウ2

 しばらく間が空きましたが、「平和に関する論点整理」の8回目です。Ⅶ.章になります。
 
Ⅶ.日本の安全保障と集団的自衛権
 「日本の安全保障政策は、平和憲法・自衛隊・日米安全保障条約がパッケージの中に含まれていますが、仏教の考え方から、こうした安全保障の政策選択は容認できるのでしょうか?」
  ・容認するか否かだけでなく、暫定的に認めるという立場や国家という枠組で考えない等の立場がありうる。
  ・完全な武力否定の場合、非現実的と批判される可能性がある。

 既に見てきましたように、仏典には暴力や殺人を否定することが説かれ、仏教が徹底して戦争や暴力を否定する平和主義の立場であることは言うまでもないことです。しかし、世界の平和と戦争にかかわる状況を見ると、このような仏教の基本的な態度を前提としても様々な考え方あり得ます。「論点」では次のように考え方を整理してあります。

(1)日米安全保障条約を容認する立場
 ・個別的自衛権の行使は認めるが、集団的自衛権の行使は認めない
 ・個別的自衛権だけでなく、集団的自衛権の行使も認める
(2)暫定的に武力を容認する立場
(3)国家の安全という見方をしない立場
(4)完全に武力を否定する立場

 これをまとめ直してみると、武力の保持、利用に関して次の立場が想定されるように思われ、それぞれに問題、課題があることが分かります。
 武力を完全に否定する立場
  ⇒実際に実現可能なのか、現実の世界で紛争があり人道的な介入が必要な事態にどのように対処するのかなどの問題が提起される立場ということになります
 武力を暫定的に容認する立場
  ⇒具体的にどのようなステップでいつまでに武器なき世界を実現するのかという計画がなければ、武力容認と変わらないことになってしまいます
 武力の必要性を容認する立場
  ⇒争いが止まない現状では、武力は「戦争を起こさないためのもの」とする立場だが、仏教の基本とは相容れないもの。個別的自衛権にとどめるのか、集団的自衛権にまで踏み込むのかという判断が迫られており、日本は集団的自衛権容認に舵を切ったといえます

 ここで、上記の(3)国家の安全という見方をしない立場、の意味を考えてみると、これは「論点整理」に示されているように、「自己中心的な見方が入りやすい自国の安全という視点ではなく、「国家」単位ではない世界の平和を目指そうとする立場」で、「一切衆生」という見方をする仏教のよって立つ姿勢ではないかと思われます。
 ただ、この立場も「相手が「国家」単位の考えを取る場合、自分たちが「国家」単位の考え方を捨てることができるのかといった批判もありうる」と「論点整理」に述べられている通りです。

 このようにして見ると、私たちが求め目指していく形は、一国の安全という見方をせずにおられる環境で、完全に武力を否定できる世界、ということになりますが、それに向けてどのように取り組むのか、現実の事態にどのように対処するのか、リスクが生じないようにする方策は何なのか、リスクが現実のものになりそうになった場合にどのように対処するのか、といった課題を余裕をもって検討しておくことが必要だと思われます。
 特に、問題が目の前に生じるとそれへの対処が焦眉の課題となって、「後戻りできない」地点にまで踏み込んでしまう、ということが十分に予想されるからです。その意味では、過去の戦争に進んでいった経緯について確認することも大切な課題だと思われます。

(写真は、ハナカイドウの花です)

 昨日4月10日に宇部北組の萬福寺さんの境内で撮影しました。当日は、ご住職の継職法要がお勤めされた日でした。
 ハナカイドウ(花海棠)はバラ科リンゴ属に分類される中国原産の植物です。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
 
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