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194.お正信偈を読む(37):依釈段(14)/曇鸞讃(1)

20160205曇鸞大師  

 少し間があきましたが、「お正信偈を読む」に戻りました。

「御文」 本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼 (ほんしどんらんりょうてんし じょうこうらんしょぼさつらい)
     
「訓読」 本師(ほんし)曇鸞(どんらん)は、梁(りょう)の天子、つねに鸞(らん)の処(ところ)に向かいて菩薩と礼(らい)したてまつる。
     
「訳文」 曇鸞大師は、梁の武帝が常に菩薩と仰がれた方である。
     
 今回からの6行12句は、親鸞聖人が七高僧の第3祖、曇鸞大師を讃嘆して記された「曇鸞讃」です。

 曇鸞大師は中国の方です。これまでのお二人龍樹菩薩、天親菩薩はインドの方でしたが、親鸞聖人はお釈迦さまのみ教えをお伝えいただいた中国の方として三人の高僧を選ばれました。その最初が曇鸞大師なのです。

 曇鸞大師は、476年に生まれられ542年に亡くなったと伝えられています。当時の中国はいわゆる南北朝時代で、大師は北中国の北魏の鴈門(がんもん)というところでお生まれになりました。
 この鴈門に近いところに五台山という霊山があって古くから神仙道の霊山として開かれていて、当時は多数の寺院を擁する仏教の聖地のひとつとされていたということです。

 曇鸞大師はこの五台山で出家されました。
 出家された曇鸞大師は、広く仏教内外の典籍を学ばれ、高名な学者になられました。その後、大師は『大集経(だいじつきょう)』という大部のお経を注釈することを志されたのですが、途中で病気になられました。なんとかこの注釈を完成させたいと、自らの寿命を伸ばすことを考えられた大師は、遠く南中国にいた道教の第一人者陶弘景を訪ねて不老長寿の術を教わり、道教の仙経10巻を授かりました。

 陶弘景に会われる前に、大師は南中国の六つの王朝の一つ梁を訪ね初代皇帝武帝に拝謁されます。この武帝は仏教を重んじる皇帝で、大師が北に戻られてからも大師を菩薩と仰いで礼拝しておられました。

 『高僧和讃』の中の「曇鸞讃」で、親鸞聖人は大師と「世俗の君子」(皇帝)との教えに関する問答について記されています。この皇帝は梁の武帝だったのでしょうか、武帝は大師の教えを大変に尊崇されたのです。
 また大師が北中国に帰られても、その地の皇帝からも手厚く迎えられたことが和讃に記されています。

(写真は、寺の曇鸞大師のご絵像です)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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