FC2ブログ

177.お正信偈を読む(33):依釈段(10)/天親讃(4)

20151207紅葉1

「御文」 広由本願力回向 為度群生彰一心 (こうゆほんがんりきえこう いどぐんじょうしょういっしん)
「訓読」 広く本願力の回向(えこう)によりて、群生(ぐんじょう)を度(ど)せんがために一心を彰(あらわ)す。
「訳文」 本願の回向によってすべてのものを救うために、一心すなわち他力の信心の徳を明らかにされた。

 親鸞聖人が天親菩薩を讃えられた第5、6句です。
 今回の2句を含む8つの句は、『浄土論』によって天親菩薩が示された教義の内容を親鸞聖人がお示しいただいた部分になります。

 先にも見ましたように、天親菩薩は『浄土論』の偈頌(願生偈)の最初に「世尊、われ一心に尽十方無礙光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生(しょう)ぜんと願ず」とご自身の信仰を述べられました。そして、その最後の部分で「願はくは弥陀仏を見たてまつり、あまねくもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。」と述べておられます。
 天親菩薩は「他力の信心」をいただいてこの上ない清浄なお浄土に自ら往生したいと願われ、さらにもろもろの衆生とともに往生したいと願われています。

 親鸞聖人は今回の2句でもって、天親菩薩が私たち衆生は「一心」で往生を得ることができると明らかにされたと讃えておられるのです。

 この「一心」という言葉は内容の深い言葉だと伺いました。
 まず、「あることを心にとどめて思いを乱さないように努力すること」という意味があります。私たちが使う「一心不乱」という言葉と通ずるところもありますが、これは自力を頼む一心「自力の一心」とされています。

 これに対して、「他力の一心」は天親菩薩がこの『浄土論』に記された「一心」で、「専一の心」という面と、「二心(ふたごころ)が無い」という二つの面があると言われています。
 「専一の心」とは阿弥陀如来の本願以外に心を動かさない心、「二心が無い」とは、救われるだろうかどうだろうかと迷うことなく本願にお任せする心、とされています。
 このように見ますと、「他力の一心」とは「思い迷うことなく阿弥陀如来の本願のお力にお任せする」という「他力の信心」ということになります。 
 このように天親菩薩が「他力の一心」でもって私たちは往生できるということを示されたとされて、天親菩薩の「発揮」を「宣布一心」としてお讃えしているのです。

(写真は紅葉した風景です)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

カウンター
カテゴリ
検索フォーム
リンク
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR