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148.仏教の歴史(2):東南アジア


20150828バイシャリ
  20150828遺跡

 前回は、お釈迦さまの入滅後のインドの仏教の歴史を学びました。
 仏教は、紀元前3世紀頃アショーカ王の時代にインド全域に広まりましたが、教団では分裂が繰り返され、その中で大衆の救済を目指す大乗仏教が新しい動きとして成立しました。
 しかし12世紀の後半のイスラム教徒のインド征服により、仏教はインドでは消滅することになりました。

 このように仏教はインドでは消滅しましたが、お釈迦さまの開かれたみ教えはセイロンや東南アジア、西域、中国、朝鮮半島そして日本に伝えられてそれぞれの地域で継承され発展し、キリスト教、イスラム教と並ぶ世界宗教として現在に至っています。
 この中国から朝鮮、日本に伝わった大乗仏教を中心とした仏教を北方仏教(北伝仏教)、セイロンや東南アジアに伝わった上座部仏教を中心とした仏教を南方仏教(南伝仏教)と呼んでいます。

 そのうち、今回は南方仏教の歴史を概観したいと思います。

 セイロン(現在のスリランカです)は現在も国民の70%以上が仏教徒という仏教国です。
 セイロンの仏教は、アショーカ王が王子マヒンダを仏教の伝道使として派遣したことに始まります。以後セイロンの歴代の王は仏教を保護し多数の寺院が建立されました。当初マヒンダが伝えた仏教は大乗仏教ではなくいわゆる上座部仏教でしたが、その後3世紀には大乗仏教も伝えられ双方が互いに競い合う関係が続いたとされています。
 その上座部仏教がセイロンからビルマやタイに伝えられて、東南アジアの仏教の基礎となります。
 セイロンではそれぞれの時代の王朝の政策により仏教が弾圧されたり、異民族や異教徒の侵入による断絶もありましたが、その後ビルマやタイから仏教が逆輸入されるなどの経緯を経て、現在に至っています。

 東南アジアのビルマやタイ、カンボジアも仏教国です。
 ビルマ(現在のミャンマーです)にはアショーカ王が伝道使を派遣したのが仏教の初伝だろうと考えられていますが、明確に確認はできていないようです。紀元前後にはインドとの交流が盛んになり、大乗仏教やヒンドゥー教がビルマに伝えられました。
 その後ビルマの歴代の王朝は仏教を保護し、セイロンから伝えられた上座部仏教が主流となって現在に至っています。ビルマも国民の90%が仏教徒という仏教国です。

 現在のタイに当たる地域には、11世紀中ごろから上座部仏教が信仰されていたということで、これが現在のタイの仏教の基礎となっています。タイ族の王朝は14世紀にはインドシナ半島最大の勢力となり、その勢力下の各地に仏塔や寺院を建設しました。また、18世紀にはタイの仏教がセイロンに伝えられるということもありました。タイは国民の95%が仏教徒です。

 カンボジアには1世紀の末にインド人が勢力を伸ばして、大乗仏教がヒンドゥー教とともに伝えられたとされています。仏教は国王の庇護を受けて発展しましたが、その後14世紀には上座部仏教の国タイの侵攻を受け、その影響でカンボジアも上座部仏教の国となりました。
 1976年に成立した民主カンプチア政権の元では、仏教は活動を禁止され多くの寺院や施設が破壊されるという苦境に陥りましたが、その後、信教の自由が確保され(憲法上では仏教が国教とされています)、現在では国民の90%以上が仏教徒です。

 このように、インドで滅亡した仏教は東南アジアで大きな勢力となり、人びとの生活の基礎をなしていますが、その仏教はいわゆる上座部仏教(大乗仏教から「小乗仏教」とも呼ばれています)が中心となっています。

(写真はインドのバイシャリにある仏教遺跡と遺跡を描いた切手です)

 この写真は、僧院跡とアショーカ王柱と呼ばれているものです。アショーカ王はインドのほとんどの地域を統一し、多くの仏教遺跡を残した王ですが、王柱で当時の姿を伝えているのはこのバイシャリの王柱だけだといわれています。
 今後、周辺の広大な遺跡の発掘調査が進められるということでした。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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