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145.戦後70年

20150817広島法要 

 今年は戦後70年の節目の年に当たります。
 14日には戦後70年に当たっての総理大臣談話が発表され、これまで多くの論争がなされてきた安全保障関連法案の審議が進んでいます。
 「戦争はどの当事者にとっても悲惨なものであり、避けなければならない」ということについて反対をする人は少ないと考えられますが、戦争はなぜ起きるのか(なぜ起きたのか)、どのようにすれば防ぐことができるのか(なぜ防げなかったのか)、それを前提として現在の環境の中で進むべき方向、とるべき方策は何なのか、という点については広くコンセンサスを得ることができずにいるように思います。

 先日7月21日に山口別院で行われた「戦後70年平和のつどい」についてはご報告しましたが、戦後70年に当たっての宗門の取り組みについて学びたいと思います。

 今日は、去る7月3日に広島市の平和記念公園においてご門主ご親修で営まれた「平和を願う法要」でのご門主のご法話(ご親教)をお伝えします。その全文は次の通りです。

 この中でご門主は、戦後70年の中で戦争が与えた深い悲しみや痛みが和らげられておらず、平和への願いと学びも深められていないのではないか、そのような中で、戦争がもたらした痛みの記憶が風化し忘れられていく恐れがあると指摘されています。また、本願寺教団が戦争の遂行に協力したことも忘れてはならない、とも述べておられます。
 ご門主は、あらゆる争いは、自己を正当とし反対するものを不当とする私たちの自己中心的なあり方から発していて、この自己中心的な私が、縁によってどのような非道な行いに進むかもしれないという危うさをもっているのだと指摘されています。
 このような争いを避けるためには、私たちは私たちの自己中心的なあり方に気づき、お互いがお互いを大切にし敬いあえる関係を築く必要があると示されています。

(ご親教:本願寺のホームページから転用させていただきました)

異なる価値観を認め合う社会へ

 ただ今、皆さまと共にお勤めいたしました「平和を願う法要」にあたり、第2次世界大戦で犠牲になられたすべての方々に対し、衷心より追悼の意を表します。
 70年前の8月6日、たった一発の爆弾によって、一瞬にして美しい広島の街が破壊され、多くのかけがえのない命が失われました。また、原子爆弾のもたらした惨禍(さんか)は、放射能の影響として、また痛ましい記憶として、今も多くの方々を苦しめ続けています。このことを思うとき、あらためて人間の愚かさ、戦争の悲惨さ、原子爆弾の非道さを感じずにはいられません。
 私は、皆さまと共に、戦後70年を迎える広島の地で、平和への願いを新たにすることに深い意義を感じています。
 第2次世界大戦が終わって70年が経とうとしています。しかし人類が経験したこともなかった世界規模での争いが起こったあと、70年という歳月が、争いがもたらした深い悲しみや痛みを和らげることができたでしょうか。そして、私たちはそこから平和への願いと、学びをどれだけ深めることができたでしょうか。
 戦争の当時を生きられた方々が少なくなってゆくなかで、戦争がもたらした痛みの記憶は遠いものとなり、風化し忘れられつつあります。また先の大戦において、本願寺教団が戦争の遂行に協力したことも、決して忘れてはなりません。こうした記憶の風化に対し、平和を語り継ぐことが、戦後70年の今を生きる私たちに課せられた最大の責務です。よりよい未来を創造するためには、仏智に教え導かれ、争いの現実に向きあうことが基本でありましょう。
 そもそも、あらゆる争いの根本には、自己を正当とし、反対するものを不当とする人間の自己中心的な在り方が根深くあります。宗祖親鸞聖人は、「煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)、火宅(かたく)無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたわごと、まことあることなし」と、人間世界の愚かさを鋭く指摘されています。私たちが互いに正義を振りかざし、主張しようとも、それはいずれも煩悩に基づいた思いであり、阿弥陀如来の真実のはたらきの前では打ち崩されてゆくよりほかはないという事でありましょう。それはまた、縁によって、どのような非道な行いもしかねないという、私たち人間の愚かさに対する警告でもあります。
 いかなる争いにおいても悲しみの涙をともなうことを、私たちは決して忘れてはなりません。受けがたい人の身を受け、同じ世界に生まれ、同じ時間を生きている私たちが、お互いを認めることができず、どうしてこの上、傷つけ合わねばならないのでしょうか。一つひとつの命に等しくかけられている如来の願いがあることに気付かされるとき、その願いのもとに、互いが互いを大切にし、敬い合える社会が生まれてくるのではないでしょうか。少なくともお念仏をいただく私たちは、地上世界のあらゆる人びとが安穏のうちに生きることができる社会の実現のために、最大限の努力を惜しんではなりません。
 戦後70年という歳月を、戦争の悲しみや痛みを忘れるためのものにしてはなりません。そして戦後70年というこの年が、異なる価値観を互いに認め合い、共存できる社会の実現のためにあることを、世界中の人びとが再認識する機会となるよう、願ってやみません。

2015(平成27)年7月3日

浄土真宗本願寺派門主
大谷 光淳


(写真は、平和記念公園で勤められた「平和を願う法要」でのご親教の様子です)

 写真は『本願寺新報』からいただきました。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

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