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137.仏教のことば:三法印(1)


20150720カキラン1
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 これまで学びましたように、お釈迦さまは今から約2500年前にインドの地でさとりを開かれ、真実の法をお説きになられました。その後、このお釈迦さまが説かれたみ教えは各地に伝えられて、多くの民族や国家を超えて人びとに受け入れられ「世界宗教」となりました。
 そのみ教えは遠く時代と距離を隔てた日本にも伝えられて、現在、多くの宗旨、宗派の仏教が見られるようになりました。それぞれの宗旨、宗派が説いている教えの間には、時として矛盾や対立があるように思われることもありますが、同じ「仏教」としてお釈迦さまが説かれた法に基づいた共通のものがあります。
 それが三法印(さんぽういん)と呼ばれているものです。

 法印とは「教法の印(しるし)」のことで、お釈迦さまが説かれた法の根本をなすものです。つまり、多くの「仏教」に共通してある「真理の旗印」であり、それはまた仏教であるか否かを判断する基準ともなるものです。

 その三法印として、つぎの3つが示されています。

  諸行無常印(しょぎょうむじょういん)
  諸法無我印(しょほうむがいん)
  涅槃寂静印(ねはんじゃくじょういん)
 これに「一切皆苦印(いっさいかいくいん)」を加えて四法印とされる場合もあります。
  
 今回は最初の法印「諸行無常印」について学びます。

 ここでの「諸行」とは「一切の現象」を指すと伺いました。
 仏教では一切の現象は、全て「因縁」によって出来上がったものだとされます。あらゆるものは原因(因)と条件(縁)によりその結果(果)として生じたものであり、それゆえに一切のものは生滅変化、流転してとどまることがないとされます。
 
 自然界の現象、社会の現象、肉体も精神も、一見安定していて盤石に見えるものもすべてが常に変化、変質していて定まることがないとされます。これが「無常」とされるところです。

 私たち自身を見ても、体の何億という細胞は一定の期間(一説では7年間で)に全て入れ替わるのだそうです。それでいて一定の姿を保持しているので、一見安定しているようにみえますが、この安定は猛烈な速度の変化の中でようやく保たれている姿だと考えることが妥当だとされています。

 『方丈記』の最初の次の一節が思い起こされます。
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。」

 お釈迦さまは、私たちが置かれたこの不安定な現実を示され、それへの対応についてお示しいただいたのです。

 『仏教要説』というテキストのなかで、北畠典生師は私たちがこの「無常」に思いをいたすことによって次のような訓戒あるいは実践的な意味をえることができると仰っておられます。

 ○自己が相対的な存在であることに気づき、絶対的な価値を志向し、自己を深く反省し環境や他との調和を目指すことができる
 ○再び取り戻すことのできないという人生の一回性に気づき、精進努力する、日々を精一杯いきることの重要性に気づく
 ○人生の虚仮不実の相を正しく認識することによって、物心にわたるすべての所有物に対する執着の心を捨て、真実に生きようとする生活態度を感得することができる

(写真は、カキランの花です。)

 昨年撮ったものですが、鮮やかな色彩が印象的でした。ちょうど今頃秋吉台で見られる花なのですが、今年はまだ出会うことができずにいます。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

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