FC2ブログ

130.お釈迦さま(9):説かれた法(4)

20150626アジサイ1   20150626アジサイ2

 お釈迦さまが示された四つの真理、「四諦」について学びます。本日は最初の「苦諦」です。

苦諦(くたい):人生の真相は苦であるという真理

 四つの真理の最初に取り上げられている真理は、「人生は苦である」ということです。お釈迦さまがお説きになった多くの真理(法)の根底にはいつもこの「人生は苦である」という認識があるように思えます。

 この苦の内容として、生、老、病、死の「四苦」が挙げられています。

 このうち、「老、病、死」の苦は素直に理解できそうですが、最初の「生苦(しょうく)」とはどういったものなのでしょうか。
 この「生苦」は「生まれでる苦しみ」とされています。では、どうして生まれでることが苦しみなのでしょうか。
 お釈迦さまは、私たちの人生は苦しみであるといわれます。その苦しみの原因は、まさしく私たちが生まれたことによるのです。生にともなう様々な苦は、私たちがこの世に生まれでてきたそのことによって背負わなければならないものなのだということになります。
 これは、前回の記事で、私たちが死ぬ本当の死因は「生まれたこと」なのだと講師が言われたことにもつながっているように思います。

 この四苦に加えて、私たちは次の四つの苦とも向き合わなければならないとされています。

  愛別離苦(あいべつりく) :愛するものと別離する苦しみ。
  怨憎会苦(おんぞうえく) :逆に、怨念や憎しみを抱いている人とも会わなければならない苦しみ。
  求不得苦(ぐふとっく)  :求めてもそれが得られない苦しみ。
  五蘊盛苦(ごうんじょうく):私たちが生きているだけで湧き上がってくる苦しみ。
   この「五蘊」というのは、「色(しき)」、「受(しゅ)」、「想(そう)」、「行(ぎょう)」、「識(しき)」という私たちの身体や感覚、概念、認識などのはたらきを表しているとお聞きしました。「五蘊盛苦」というのは、私たちがそのはたらきの結果や内容に執着して離れることができない苦ということになるのでしょうか。

 私たちが行っている社会生活のことを考えてみても、特に最初の3つの苦は普通に直面する苦だということが分かります。人が人生で出会う苦というのは遠く時代を超えて変わらないものだということができますが、2500年前に、お釈迦さまは現在にまでつながる人間の苦というものを的確に指摘されたのだと思います。

 先の四苦と合わせて合計八つの苦、文字通り「四苦八苦」が私たちの人生だということになります。

 お釈迦さまは、この「苦諦」の中で、私たちの生そのものの根底に苦があるということをお示しいただきました。お釈迦さまは、ちょうど医師が病める患者の様態を診察されるように、私たちの生の実態を示されたということになります。

(写真は今回もアジサイです。)

 防府の「阿弥陀寺」のアジサイです。
 「阿弥陀寺」は、源平の戦で焼失した東大寺を再建するために西下した重源上人が建立されたと伝えられるお寺で、約80種、4000株もあるアジサイでも有名なお寺です。ウイークデーでも多くの人出がありました。
 アジサイは梅雨の鬱陶しさを忘れさせてくれますが、それにしても、その花の複雑繊細さはどうしてこのような造形が可能なのかと不思議な思いになります。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

カウンター
カテゴリ
検索フォーム
リンク
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR