FC2ブログ

125.お釈迦さま(6):説かれた法(1)


   20150608棚田

 これまで見てきましたように、お釈迦さまは苦行を捨ててブッダガヤーの地でさとりを開かれ、5人の比丘にそのさとりの内容をお説きになりました。
 それ以後45年にわたって、お釈迦さまはインドの各地で、相手を選ぶこともなくそのおさとり(法)の内容をお説きになられました。

 今回以降では、お釈迦さまが説かれた「法・真理」の内容を学んでいきたいと思います。

 その際理解しておかなければならないことは、この「法」はお釈迦さまがこの世に出られるかどうかに拘わらず存在していたもので、それをお釈迦さまがこの世にお出になられて私たちに説きあかしていただいたということです。また換言すれば、お釈迦さまがこの世にお出にならなければ、私たちは永遠にこの法を知ることがなかったということにもなります。

 お正信偈に親鸞聖人が書かれた次のお言葉を思い出します。

 如来所以興出世 唯説弥陀本願海
  如来、世に興出(こうしゅつ)したまふゆゑは、ただ弥陀の本願海を説かんとなり。
  (如来が世に出られるのは、ただ阿弥陀仏の本願一乗海の教えを説くためである。)
 お釈迦さまがこの世にお出になられたのは、ただ阿弥陀仏のみ教えをこの私たちに説き聞かせるためだった、と聖人はお示しいただいています。
 また、聖人は、お釈迦さまは阿弥陀仏が私たちにその姿が見えるようにとこの世にお出になられた姿だともお示しいただいています。

 遠く2500年の時を隔て、インドという遠い地にお釈迦さまがお出にならなければ、私たちは、阿弥陀仏のみ教えを知ることができなかったのです。

 さらには、お釈迦さまが「あたかも草叢に覆いかくされていた古い道を見つけだされたように、ひとり真理への道に目覚めて仏陀になられたのであるから」(『仏教要説』)私たちもお釈迦さまのみ教えを仰ぎそれに従えば、成仏(私たち自身が仏になる)できるということもお示しいただきました。
 「私たち自身が仏になれる」ということは、他の宗教にはない仏教の大きな特徴であり、仏教のみ教えの根幹に当たるものだと思います。

 お釈迦さまがお出にならなければ、私たちはこの法に出逢うこともできず、煩悩に苦悩する生活から永久に抜け出ることができなかったということになります。

(写真は、長門市の東後畑というところから眺めた夕刻の棚田と日本海です)

 この東後畑の棚田は「日本の棚田百選」にも選ばれているそうですが、このように海を間近に見る棚田というのは多くないのだそうです。
 この棚田を維持するために実に多くのご苦労があることも忘れてはならないと思いながら見ていました。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

カウンター
カテゴリ
検索フォーム
リンク
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR