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120.お釈迦さま(3)


 20150522スジャータ1     20150522スジャータ2 

 お釈迦さまのご生涯を学ぶ記事を最後に載せてからもう2か月が経ちました。
 これまで続けていました「お正信偈を読む」も「依経段」を終わり、七高僧のみ教えを学ぶ「依釈段」に入りますので、その前にお釈迦さまのご生涯とみ教えについて学びたいと思います。

 これまで学んできましたように、お釈迦さまは生老病死という人間としてどうしても逃れることのできない苦について深く思い悩まれ、なにひとつとして不自由のない王子としての生活と家族を捨てて出家されました。29歳のときだったと伝えられています。

 出家されたお釈迦さまは各地を遍歴された後に、当時のインドの文化の中心地であったマガダ国の首都、王舎城付近に住む名高い修定(しゅじょう)の実修家をたずねられます。修定というのは、禅定(瞑想)を通じてさとりの境地に近づく修行ですが、我々の邪念の根源がわれわれの意識にあるとしてそれを滅することを目指す立場ということができるようです。
 お釈迦さまはこれらの師のもとで修行を重ねられてその奥義に達せられましたが、しかし、なお心の満足を得ることができなかったと伝えられています。

 その後、お釈迦さまは尼連禅河という河のほとりに赴き、多くの行者とともにさまざまな苦行に入られました。
 苦行は当時もインドで盛んにおこなわれていた修行で、邪念の根源がわれわれの不浄なる肉体にあるとして、その肉体を痛めつけることにより邪念から自由になろうとするものといえましょう。

 お釈迦さまが取り組まれた苦行は、飲食を断ち、呼吸を止めいばらの床に臥すなど肉体を苛む過酷なものでした。
 このような苦行を6年続けられたお釈迦さまは骨と皮だけの姿になられましたが、それでも真の満足を得られることはなかったと伝えられています。
 お釈迦さまは、このように体を痛めつけることは正しいさとりを得る道ではないとさとられて、これらの苦行一切を放棄されました。
 お釈迦さまは尼連禅河で沐浴され、スジャータという村娘が差し出す乳粥を飲んでやつれ果てた体の回復を図られたのです。

 一たび出家した者が苦行を放棄し村娘の供養を受けるということは、当時のインドの宗教界では画期的なことだったと考えられます。苦行を放棄したことはもちろんのこと、カーストという階級制度が厳しかった当時、村娘から供養を受けるということも大変な出来事だったと思われます。
 お釈迦さまと共に苦行を続けていた人たちからも、お釈迦さまは堕落した、とみられたと伝えられています。

(写真は、ブッダガヤにある「スジャータ寺」です。)

 スジャータがお釈迦さまに乳粥を差し出している像がありました。骨と皮に痩せられたお釈迦さまの様子も見ることができます。
 スジャータというと、コーヒーに入れるフレッシュミルクを思い出しますが、この製品名は村娘スジャータに由来するのだそうです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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