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112.お正信偈を読む(22):依経段(18)

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 引き続き、依経段をお読みします。

「御文」 一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 (いっさいぜんまくぼんぶにん もんしんにょらいぐぜいがん)
     仏言広大勝解者 是人名分陀利華 (ぶつごんこうだいしょうげしゃ ぜにんみょうふんだりけ)

「訓読」 一切善悪の凡夫人(ぼんぶにん)、如来の弘誓願(ぐぜいがん)を聞信(もんしん)すれば、
     仏、広大勝解(こうだいしょうげ)のひととのたまへり。この人を分陀利華(ふんだりけ)と名づく。

「訳文」 善人も悪人も、どのような凡夫であっても、阿弥陀仏の本願を信じれば、
     仏はこの人をすぐれた智慧を得たものであるとたたえ、汚れのない白い蓮の花のような人とおほめになる。

 阿弥陀仏の本願の信心を得た人に恵まれる「利益」の5番目で、「諸仏称讃の益」とお呼びするものです。
 親鸞聖人はこの4句で、善人も悪人も阿弥陀仏の本願を信ずるならば仏さまに讃えられる人となると、お示しいただいています。

 ここに「聞信」という言葉が出てきますが、浄土真宗では「聞く」ことはとても大切なことだとされています。
 『浄土真宗辞典』に「聞即信」という言葉について次のような説明があります。
  「浄土真宗における聞と信との関係のことで、聞くことがそのまま信心であり、聞のほかに信はないということ。」
 「聞く」のは単に言葉を「聴く」ことではなく、阿弥陀仏が本願起こされた由来と、その結果として私たちを救済されていること(仏願の生起本末)を「聞く」ことがそのまま信心であり、聞くことをおいてほかに信心はあり得ない、とお示しいただいています。

 このような信心を得ることができたひとは、仏さまからほめたたえられるというのが後の2句の内容となっています。

 「広大勝解者」を『浄土真宗辞典』で調べてみますと、「広大なすぐれた法をよく領解した智慧の人の意で、他力信心の行者のこと。」とあります。
 一方次の句に出てきます「分陀利華」は、訳文にありますように白い蓮の花を示す言葉で、煩悩を離れ涅槃を得たたとえとされている蓮の中でも最も高貴なものとされています。

 阿弥陀仏の信心をいただいたものは、仏さま方から「広大勝解者」「分陀利華」と讃えられる存在になるのだとお示しいただいています。

(写真は、一昨日俵山の「しゃくなげ園」で撮ったものです。)

 この「しゃくなげ園」は、金川さんといわれる方が個人でご自宅の裏山や休耕田に植えてこられたとものだということで、170種約3万本もの花を見ることができるそうです。
 汗ばむくらいの快晴のもと、ご苦労を偲びながら楽しませていただきました。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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