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111.お正信偈を読む(21):依経段(17)

 
20150420霧の境内   

 少し間が空きましたが、お正信偈の依経段の続きです。

「御文」 獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣(ぎゃくしんけんきょうだいきょうき そくおうちょうぜつごあくしゅ)
「訓読」 信を獲(え)て見て敬(うやま)ひ大きに慶喜(きょうき)すれば、すなはち横(おう)に五悪趣(ごあくしゅ)を超截(ちょうぜつ)す。
「訳文」 信を得て大いによろこび敬う人は、ただちに本願力によって迷いの世界のきずなが断ち切られる。

 この2句は、阿弥陀仏の本願に遭い信心を得た人が恵まれる4番目の利益をお伝えいただいています。
 訳文にありますように、信心を得た人は阿弥陀仏の本願のお力によって迷いの世界(五悪趣)から離れ、仏の世界に生まれ変わることができるという「横超五趣の益」とお呼びしているものです。

 この「五悪趣」を『浄土真宗辞典』で見てみますと、「五悪道・五趣・五道ともいう。衆生が自らなした悪業によって導かれ赴くところ。地獄・餓鬼・畜生・人・天の迷いの世界」とあります。
 これに「阿修羅」を加えたものを六道と呼び、これも衆生が生まれ変わり、死に変わりして迷う世界とされています。

 地獄、餓鬼、畜生、阿修羅はそのような迷いの世界だということは想像がつきますが、人や天はどうして迷いの世界とされているのでしょうか。
 「人」の世界は「欲望に執着することによって苦悩する娑婆世界」とされ、まさに私たちが今過ごしているこの世界のことです。
 「天」の世界は、「天人や天の神が住む世界ですが、まだ欲望にとらわれている迷いの世界」だとされています。

 ここでも「衆生が自らなした悪行によって」という点に注目したいと思います。
 私たちは、「地獄」というとなにか自分の外にあって怖い所だという思いを持っているように思います。子供のころに教わったことから来ているのかもしれません。
 しかし聖人は、これらの悪趣は私たち自身にその原因があるのだと、仰っているのです。私たちは、私たち自身が作り出した「地獄」に囚われ、抜け出せずにいるのだとお示しいただいています。

 聖人は、阿弥陀仏の救いの力がなければ、この欲望にとらわれ、互いに争い、憎みあう世界の中で生まれ変わり、死に変わることから抜け出すことはできないのだと示されています。

 (写真は昨日の朝の境内の様子です。)

 暖かな朝で濃い霧が発生していました。昨年はあまり元気がなかったハナズオウも、今年は鮮やかな色を見せています。イチョウにも若芽が出始めました。

 (このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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