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106.お正信偈を読む(20):依経段(16)

20150403カタクリ1  20150403カタクリ2

 前回に引き続き、「心光摂護の益」について学びます。

「御文」 譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇 (ひにょにっこうふうんむ うんむしげみょうむあん)
「訓読」 たとへば日光の雲霧に覆(おお)はるれども、雲霧の下あきらかにして闇(やみ)なきがごとし
「訳文」 しかし、たとえば日光が雲や霧にさえぎられても、その下は明るくて闇がないのと同じである。

 前2回で、聖人は、阿弥陀仏の光明に照らされることによって私たちの無明の闇は晴らされるのですが、私たちの煩悩が雲霧になって信心の空を覆っている、と示されました。
 今回はその御文に続く2句です。

 この2句で聖人は、日光が雲や霧に遮られているとしても、阿弥陀仏の光明によって明るく闇がないのと同じ状態になるのだとお示しいただいています。
 私たちは貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)に代表される深い煩悩から逃れることができずにいるのですが、それでも阿弥陀仏の光明は私たちを明るく照らしてくださるのだと仰っておられます。私たちは私たちの煩悩に囚われながらも、阿弥陀仏のおすくいにあずかることができる、私たちの煩悩は往生の妨げにならないのだとお示しいただいています。

 ここでは、阿弥陀仏が、私たちが私たち自身の作り出す煩悩から逃れることができない存在であることを見抜かれて、そのような私たちでもすくおうと立たれた仏さまなのだということを改めて示していただいています。

(写真は、前々回のミツマタと同じ日に撮ったカタクリの花です)

 「重源の郷」の木立の中にカタクリが自生している場所が2か所ありました。カタクリの花にはこれまで植物園で出会ったことはありましたが、自生しているものは初めてでした。
 左の花は日光に当たる前のもので、日光を受けると花弁を上方に反り返らせて右の写真のようになります。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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