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104.お正信偈を読む(18):依経段(14)


20150327ミツマタ1
   20150327ミツマタ2

 少し間が空きましたが、引き続き「釈迦讃」をお読みします。

「御文」 摂取心光常照護 己能雖破無明闇(せっしゅしんこうじょうしょうご いのうすいはむみょうあん)
「訓読」 摂取(せっしゅ)の心光(しんこう)つねに照護(しょうご)したまふ。すでによく無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)すといえども、
「訳文」 阿弥陀仏の光明はいつも衆生を摂め取ってお護りくださる。すでに無明の闇ははれても、

 今回から聖人は、阿弥陀仏の本願に遭うことができた人が受ける3番目の「利益(りやく)」、阿弥陀さまの光明にいつもおさめとられて護られるという「心光摂護の益」について述べられます。

 「光明」は阿弥陀さまの智慧を表すものとお聞きしました。迷いの闇を破り、真理を表すものです。
 「摂取」という言葉にもよく出会いますが、おさめとるという意味で、仏の光の中に私たち衆生をおさめとるということを表します。「宗祖讃仰作法(音楽法要)」の中に取り上げられ非常に印象に残っています和讃(浄土和讃)に次のお言葉があります。
 「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」
 阿弥陀仏の摂取の光は、私たちをおさめとり、決してすてることなく護り通していただけるとお示しいただいています。
 続いて「無明」という言葉がでてきますが、「浄土真宗辞典」では「愚痴・無知ともいう。真理に暗く、縁起の道理を知らないことをいう。あらゆる煩悩の根源となるもの。十二因縁の第一支。三毒の一。」とされています。
 お釈迦さまは人間の根源的な苦悩を、生(しょう)、病死に至る12の因縁で示されましたが、その根源となっているのが「無明」とされました。
 また、三毒というのは貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)の3つの代表的な煩悩とされています。現在の用法とは異なりますが、「無明」はその愚痴に当たります。

 今回の2句で、阿弥陀仏の光明に摂取されて衆生の無明は晴らされる、とお示しいただきました。ただ、この第2句は「すでに無明の闇ははれても、」と次の句に続いています。
 この次については、次回以降で学びたいと思います。

(写真は、ミツマタ(三椏)の花です。ちょうど今頃が見ごろです。)

 左の写真は、昨日、山口市徳地地区にある「重源の郷」で撮りました。施設の中に紙漉きの工房があって、その前にミツマタが植えてありました。ミツマタはコウゾ(楮)と並んで和紙の大切な原料になります。ミツマタは花も鮮やかですし枝の別れ方からも簡単に見分けがつくのですが、コウゾの方は全くわかりませんでした。実は左の写真にはコウゾの枝も写っているのですが・・・工房の方に教えてもらって初めて知りましたが、それだけでは絶対に見分けられないと確信(?)しました。
 右の写真は、京都の伏見にある「長建寺」というお寺のミツマタです。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

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