FC2ブログ

99.お正信偈を読む(17):依経段(13)


20150309オオイヌノフグリ1
   20150309オオイヌノフグリ2

 前回に続いて「釈迦讃」をお読みします。

「御文」 凡聖逆謗斎廻入 如衆水入海一味 (ぼんじょうぎゃくほうさいえにゅう にょしゅしいにゅうかいいちみ)
「訓読」 凡聖(ぼんじょう)・逆謗(ぎゃくほう)斎(ひとし)しく廻入(えにゅう)すれば、衆水(しゅすい)海に入りて一味(いちみ)なるがごとし。
「訳文」 凡夫も聖者(しょうじゃ)も、五逆(ごぎゃく)のものも謗法(ほうぼう)のものも、みな本願海に入れば、どの川の水も海に入ると一つの味になるように、等しく救われる。

 今回は、阿弥陀仏の本願の信心を得た人が恵まれる5つの利益(りやく)の2番目で、どのような人であっても、平等に救われるという利益、「平等一味の益」です。

 親鸞聖人はここで、凡聖、逆謗などあらゆる人は、自力の心を改めて真実信心の海に入れば、みな等しく救われる、とお示しいただいています。どの川の水も海に入れば一つの味になるという譬えを使われています。
 「凡聖、逆謗」という言葉は、聖人が著された『尊号真像銘文』というご本では、「小聖・凡夫・五逆・謗法・無戒・闡提」と説明されています。聖者も凡夫も、悪人、法をそしる人も、どのような人でも、阿弥陀仏のご本願により煩悩を持ったままで救われると仰っています。

 小聖というのは、小乗のさとりを得た聖者や大乗の菩薩方のことです。
 
 五逆と謗法については、以前「浄土真宗のことば:本願」で学びましたが、阿弥陀仏のご本願はこのような重い罪を犯したものにも向けられているのだとお示しいただきました。
 無戒は戒律がないこと、闡提は、世俗的な快楽を追及するのみで正法を信じずさとりを求める心がなく成仏できない衆生のことを意味します。

 まったく私事になりますが、子供の頃、今回の第2句の部分を、悪い海賊の一味のことを言っているのだと思い込んでいたことがありました。それで、今でもお勤めをしていてこの部分に来るとそのことを思い出します。

(写真は、先日荒滝山のふもとで撮った花です)
 オオイヌノフグリという怪しげな名前を持った植物ですが、名前に似合わず可憐な花を持っています。早いものは1月の終わり頃から咲き始め、春を予告するような花です。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)


 
 
  
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

カウンター
カテゴリ
検索フォーム
リンク
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR