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748.宇部北組の「法令集」です

20210531規定集2s

  前回、宇部北組の今年度の初組会を開催したことをご報告しましたが、その際、ご出席の皆さんに「宇部北組法令集」をお配りしました。

 この「法令集」は宇部北組が持っている規定や規則類を1冊のファイルにまとめたものです。このファイルの印刷、作成には副組長の安藤さんにご協力いただき、初組会当日にお渡しすることができました。

 少しその内容をご紹介します。全体の構成は次のようになっています。
1.組全体に関する規定類
 ・宇部北組規約
 ・宇部北組運営要綱
 ・宇部北組組会規定
 ・大谷本廟無量寿堂利用規程
2.教化団体に関する規定類
 ・「御同朋の社会をめざす運動」宇部北組委員会設置規則
 ・宇部北組門徒総代会会則
 ・宇部北組仏教婦人会連盟規約
 ・宇部北組若僧会規約
 ・宇部北組仏教子供会規約

 このうち、2.の教化団体に関する規定類は従来より持っている規定類で、一部修正した以外はそのまま入れました。

 1.の組全体に関する規定類は、これまでも時々ご紹介をしていましたように、昨年度に改定に着手し内容の見直し、検討を進めてきた規定類で、今回の初組会で改正について承認をいただいた内容です。
 「宇部北組組会規定」の内容は、従来は「宇部北組規約」の一部になっていたものですが、今回その部分を別の規定としたものです。同じように、「大谷本廟無量寿堂利用規程」も従来は「宇部北組運営要綱」の中に規定されていたものを取り出して別規定としたものです。

 このファイルは50部作成し、当日各寺院のご住職、総代さんにお渡ししました。また、坊守会会長さん、仏教婦人会連盟の会長さんに渡していただくようお願いし、それぞれ交代がある場合は、引継をしていただくようにお願いしました。

(写真は、今回お渡しした規定集のファイルです)

 左は表紙、右は1ページ目です。
 表紙にはナンバリングをしていまして、「005」は壽福寺の住職に配布したことを示しています。第1ページには、目次と配布先一覧表、加除記録が記してあります。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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747.初組会を開催しました

キリs  キリ2 (2)s

  5月25日に宇部北組の初組会を開催しました。
 初組会は、組内の寺院から僧侶、ご門徒さんの各1名が組会議員として参加する組の議決機関です。昨年度は新型コロナウイルス感染拡大を受けて、会議は開催せずに書面で決議しましたので、今回は2年ぶりの会合ということになりました。

 それでも、新型コロナウイルス感染が収まらない状況でしたので、通常は組長の寺院を会場にして開催するのですが、今回は船木の「ルネッサンスホール」をお借りして3密を避けての会合としました。
 さらに、開催も短時間で行いたいと、予め議案書と資料を送付し、当日の説明も可能な限り短い時間で行うなどの工夫を行いました。
 また、体調に自身のない方には、無理をして出席せずに委任状を提出していただくこともお勧めしました。コロナが原因でない方も含めて、僧侶で2名、ご門徒さんでも2名の方が委任状を提出して欠席されることとなりました。

 会議では議長選出、書記(議事録署名者)選出を行い、組長の挨拶に続いて次の議題について審議をいただきました。

 1.2020年度教化活動報告
 2.2020年度会計決算報告
 3.2020年度会計監査報告
 4.2021年度教化活動計画(案)
 5.2021年度会計予算(案)
 6.宇部北組規約等の改正
 7.「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」宇部北組実行委員会設置

 これらの議題のうち最後の2つの議題は、例年審議される議題とは別に付議した議題でした。
 宇部北組規約等の改正は、これまであった2つの規約を新たに4つの規約、規定として再編するものです。また「慶讃法要」実行委員会の設置は、宇部北組として慶讃法要を検討、実施するための委員会を設けるというものです。

 議案についての補足説明も行い、採決の結果いずれも承認されました。
 会の準備から、会議の進行までご協力をいただき厚くお礼申し上げます。今年度も例年とは違った形のでの活動となることが予想されますが、ご協力を得ながら活動を進めていきたいと考えております。

(写真は、キリ(桐)です)

 当日、会議の様子を写す予定にしていたのですが忘れてしまいました、トホホです。
 代わりにキリの写真です。ちょうど今頃きれいな花を見ることができます。
 キリは成長が早い木です。昔、女の子が生まれるとキリを植えるという習慣があったということを聞いたことがあります。女の子が成長してお嫁さんに行く頃には、そのキリで嫁入り道具の箪笥を作ることができたのだそうです。

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746.掲示を変えました

20210524掲示文s  20210524ユウスゲs


 5月3日に予定していました降誕会は新型コロナウイルス感染拡大を受けて休座となりましたので、先日、掲示板の掲示を7月11日の夏法座のご案内と新しい「ひとこと」に変えました。

  その「ひとこと」は「仏さまに ずっとずっと 思われていた」というものです。
 この言葉は、ネットで偶然に出遭ったものですが、印象に残っていて今回使わせていただくことにしました。

 阿弥陀さまはいつもいつも私たちを見守っていただいています、とお話しをすることがあります。昔「お天道様が見ているよ」という言葉を聞きました。誰も見ていないと思っていても、きっと誰かが見ているから「悪いことはしてはいけないよ」という意味で使われていたようですが、悪いことをしようとしている私だけではなく、つらい思いをしているとき、悲しい思いでいるとき、頑張っているとき、さぼっているとき・・・どんなときでも、私を見守っていていただいている方があります、とお話しするのですが、この「見守っていただいていた」と「思われていた」とは少し違っているように感じます。

 『歎異抄』で親鸞聖人がいつも仰っておられた「弥陀の五劫(ごこう)思惟(しゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人(いちにん)がためなりけり。」(阿弥陀仏が五劫もの長い間思いをめぐらしてたてられた本願のことをよくよく考えてみると、それはただ、この親鸞一人をお救いくださるためであった。)というお言葉が伝えられています。
 この言葉に続いて「されば、それほどの業(ごう)をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」(思えば、このわたしはそれほどに重い罪を背負う身であったのに、救おうと思い立ってくださった阿弥陀仏の本願の、何ともったいないことであろうか)というお言葉が記されています。

 阿弥陀さまは、救いがたい業を抱えた私を救わずにはおれない、そんな私だから救わずにはいられない、と私のことを「思い続けておられた」のだと、聖人は受け止められました。そこには、見守るだけではなく、「私が救いに行くぞ」という阿弥陀さまの力強い願いが感じられます。
 阿弥陀さまに思われていることを、私の方が「ずっと、ずっと」心にとどめておかなければならないはずなのですが、振り返ってみますといつの間にか忘れてしまっています。そのことに気づかせてもらった「ひとこと」です。

(図は、「ひとこと」とキスゲ(黄菅)の仲間です。)

 ご門徒さんから苗をいただいたもので、ちょうど今頃鮮やかな黄色の花を咲かせます。ただ、名前は分からず「キスゲの仲間」としました。
 PlantNetという名前のアプリがあります。植物の花や葉の写真を送ると、その名前(学名)を返してくれるという、なかなか便利なアプリです。
 そのアプリで調べてみると、この花の学名はHemerocallis lilioasphodelusだと答えてくれました。和名はマンシュウキスゲという植物です。しかし、このHemerocallisの仲間は種の見分けが難しいので、「?」マーク付きマンシュウキスゲというところでしょうか。

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746.『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(33):無碍の一道(6)

20210521薬師堂  20210521薬師堂2

  今回は、親鸞聖人が『唯信鈔文意』に取り上げられた2番目の偈頌の第5句を学びます。

 偈頌の全体です。今回は、太字の部分です。

 彼仏因中立弘誓 聞名念我総迎来
 不簡貧窮将富貴 不簡下智与高才
 不簡多聞持浄戒 不簡破戒罪根深
 但使回心多念仏 能令瓦礫変成金

 不簡多聞持浄戒 (多聞と浄戒をたもてるをえらばず)

 聖人が記された御文と現代語訳です。

 「不簡多聞持浄戒」といふは、「多聞(たもん)」は聖教(しょうぎょう)をひろくおほくきき、信ずるなり。「持(じ)」はたもつといふ、たもつといふは、ならひまなぶこころをうしなはず、ちらさぬなり。「浄戒(じょうかい)」は大小乗のもろもろの戒行、五戒・八戒・十善戒、小乗の具足衆戒(ぐそくしゅかい)、三千の威儀(いぎ)、六万の斎行(さいぎょう)、『梵網(ぼんもう)』の五十八戒、大乗一心金剛法戒(いっしんこんごうほうかい)、三聚浄戒(さんじゅじょうかい)、大乗の具足戒(ぐそくかい)等、すべて道俗の戒品(かいほん)、これらをたもつを「持」といふ。かやうのさまざまの戒品をたもてるいみじきひとびとも、他力真実の信心をえてのちに真実報土(ほうど)には往生をとぐるなり。みづからの、おのおのの戒善(かいぜん)、おのおのの自力の信、自力の善にては実報土(じっぽうど)には生れずとなり。 

(「不簡多聞持浄戒」というのは、「多聞」とは、聖教を広く多く聞き、信じることである。「持」は、「たもつ」ということである。「たもつ」というのは、習い学ぶ心を失わず、散漫にならないことである。「浄戒」とは、大乗・小乗のさまざまな戒律のことであり、五戒、八戒、十善戒、小乗の具足戒、三千の威儀、六万の斎行、『梵網経』に説かれる五十八戒、大乗一心金剛法戒、三聚浄戒、大乗の具足戒など、出家のものや在家のものが守るすべての戒律をいう。そしてこれたをたもつことを「持」というのである。このようなさまざまな戒律をたもっている立派な人々であっても、本願他力の真実の信心を得て、はじめて真実の浄土に往生を遂げることができるのである。自らの力によってそれぞれが戒律を守ることで得る善根、それぞれの自力の信心や自力の善根では、真実の浄土には生まれることができないというのである。)

 親鸞聖人は、今回の句を受けて、多聞の人、持戒の人が救われる姿を説かれます。聖人は、そのように聖教をたくさん聞き、信じる人、戒律を保つ人、一般に「立派な」人といわれる人は、そのことでお浄土に往生できるのではない、とされます。その人も、「他力真実の信心をえてのちに(本願他力の真実の信心を得て、はじめて)」真実のお浄土に往生を遂げることができるのだと記されます。
 そして、「みづからの、おのおのの戒善(かいぜん)、おのおのの自力の信、自力の善にては実報土(じっぽうど)には生れずとなり(自らの力によってそれぞれが戒律を守ることで得る善根、それぞれの自力の信心や自力の善根では、真実の浄土には生まれることができないというのである)とされます。

 どのような者であっても、お念仏一つでお浄土に往生できると説かれた法然聖人のみ教えは、聖覚法印を通して親鸞聖人に伝えられました。
 聖覚法印は今回の段で、名号は「阿弥陀」の三文字であるから「在家出家、若男若女、老少、善悪の人をもわかず」いつでもだれでも称えることができ、誰一人残すことなく救われるとされました。親鸞聖人は、これを受けて、私たちが救われるのは、自力の信心や自力の善根ではなく、信心をいただき阿弥陀さまのお救いにお任せする、他力の道以外にはない、のだと説かれました。

 今回の段をお読みして、聖人が「浄戒」として多くの行について記されていることに驚きました。
 梅原真隆師は『唯信鈔文意講義』で、この様々な戒行の内容について記されているのですが、それはその本の4ページにも亙るものになっています。

 例えば、最初の五戒は「不殺生戒、不偸盗戒、不邪婬戒、不妄語戒、不飲酒戒」であり、八戒はこれに「不坐高広大床戒、不著花鬘瓔珞戒、不習歌舞戯楽戒」の3つ(普賢師によります。他のものを入れる場合もあるようです)を加えたもので、五戒の方は在家の信者が日常的に守るべき戒、八戒の方は日を限って出家者と同様に受持する戒だとされています。
 五戒の内容は字を追ってみると理解できるように思いますが、あとの3つの戒は「高くゆったりした寝台に寝ない」「装身化粧をしない」「歌舞を視聴したり習ったりしない」という内容なのだそうです。この8つの戒だけでも、これは大変だなあ・・と思いますが、まだまだ続くのです。

 小乗の具足戒というのがありますが、これは比丘(男性出家者)の250戒、比丘尼(女性出家者)の350戒を指します。この比丘の250戒を行・住・座・臥に配列すると1,000戒、さらにこれを過去・未来・現在の三世に繰り返すとき3,000(三千の威儀)になるのだと、梅原真隆師が記しておられます。

 聖人は、このように驚くような多数の戒を記され、伝統的な仏教で大事にされて来たこれらの戒を保つことができる稀有な(立派な)人でも、そのことでは往生を遂げることはできないのだと示されました。
 私などは、最初の五戒のところでこりゃいけません、となりそうですが、そのような私でも、阿弥陀さまのお力で救っていただける、と聖人はお示しいただいたのです。
 
(写真は、前回ご紹介しました薬師堂の仏像(左)と仏像を安置してある場所の格子戸(右)です)

 仏像は傷みが見えますが、右が阿弥陀さま、左が薬師如来です。右の写真の格子戸の間から写したものです。

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745.『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(32):無碍の一道(5)

20210517薬師堂s

 今回は、親鸞聖人が取り上げられた2番目の偈頌の、3句目と4句目について学びます。該当の句は太字の部分です。
 (聖人が取り上げられた2番目の偈頌は全体で8句なのですが、これまでそのうちの6句しか記しておりませんでした。今回初めて気づきました。引用する際に原文からコピーをするのですが、その際に抜けてしまっていたようです。お詫び申し上げます。)

  彼仏因中立弘誓 聞名念我総迎来
  不簡貧窮将富貴 不簡下智与高才
  不簡多聞持浄戒 不簡破戒罪根深
  但使回心多念仏 能令瓦礫変成金

  不簡貧窮将富貴 不簡下智与高才(貧窮とまさに富貴とをえらばず 下智と高才とをえらばず)

 以下に、ご文と現代語訳を記します。

 「不簡貧窮将富貴」といふは、「不簡(ふけん)」はえらばず、きらはずといふ。「貧窮(びんぐ)」はまづしく、たしなきものなり。「将(しょう)」はまさにといふ、もつてといふ、ゐてゆくといふ。「富貴(ふき)」はとめるひと、よきひとといふ。これらをまさにもつてえらばず、きらはず、浄土へゐてゆくとなり。 
 「不簡下智与高才」といふは、「下智(げち)」は智慧あさく、せばく、すくなきものとなり。「高才(こうざい)」は才学(さいかく)ひろきもの、これらをえらばず、きらはずとなり。 

 (「不簡貧窮将富貴」というのは、「不簡」とは、選び捨てない、嫌わないということである。「貧窮」とは、貧しく、苦しみ困っているもののことである。「将」は「まさに」ということであり、「もつて」ということであり、連れて行くということである。「富貴」とは、裕福な人、身分の高い人ということである。これらの人々を、まさに選ぶことなく、嫌うことなく、浄土に連れて行くというのである。
 「不簡下智与高才」というのは、「下智」とは、智慧が浅く、狭く、少ないものというのである。「高才」とは、才能が豊かで学のあるもののことであって、これらの人々を選ぶことがなく、嫌うことがないというのである。)

 聖人は、前回の第2句で「総迎来」という言葉で、阿弥陀さまが誓われた、衆生を残すことなく救うという第十八願は、あらゆる人々に向けられていると説かれました。そのことを、今回の第3句以降で具体的に示されます。
 第3句では、貧しい人も富める人・高貴な人も、第4句では、智慧の浅い人も才学の広い人も、だれも選ばず嫌わずに取り残すことなく救われるのだとお伝えいただいています。

 聖人は、「将」という字には、「まさに」「もつて」「率てゆく」という3つの意味があると記されています。
 これらの意味を踏まえて聖人は、「これらをまさにもつてえらばず、きらはず、浄土へゐてゆくとなり。(これらの人々を、まさに選ぶことなく、嫌うことなく、浄土に連れて行く)」と釈しておられます。

 この「将」の字について漢和辞典を調べてみますと、たくさんの意味があることが分かりました。手元の大修館発行の『新漢和辞典』では、35もの字義が挙げてありました。

 その最初に、「ひきいる」と読まれる例が取り上げられています。
 これには、「将軍」などの言葉が該当するものでしょう。聖人が「率てゆく」と説かれた部分に当たります。だれも漏らすことなくお浄土に「連れて行く」という阿弥陀さまのお救いの姿を述べられています。

 辞典では次に「まさに」と読まれる例が記されています。漢文で再読文字と呼ばれていますが、「まさに・・(せんと)」とか「まさに・・し」という形で使われ、動作が起ころうとする状態を表したり、後者では「当」と同義で、そうすべきだという意味を表すとされています。前者の例では「将来」という言葉がその意味を表しています。

 聖人が解された「もつて」の字義は、漢和辞典では「以」と同じとされている字義だと思われます。
 このように、聖人は「将」の字義を用いて、阿弥陀さまのお救いは、貧窮と富貴とを選ばず下智と高才とを差別することなくあらゆる衆生に向けられたものだとお伝えいただいています。

(お知らせです)

 以前、ご案内していました5月16日開催予定の「スクール・ナーランダvol.6」のプレイベントは、コロナウイルス感染拡大を受けて、6月30日に延期となりました。

(写真は、宇部市芦河内(あしがわち)にある「薬師堂」と呼ばれている建物です。)

 この建物は応永元年(1394年)の建立とされ、阿弥陀如来の立像を始め薬師如来立像、毘沙門天立像など室町時代の像が安置されています。県内にあるお堂のなかでも整った姿をしているとされ、県の有形民俗文化財に指定されています。 
 ことし3月に約20年ぶりに茅葺屋根の葺き替えが行われ、新しい姿になりました。ちょうど通りかかったときに、田植えが終わった田にその姿が映っていました。

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743.今年度第1回目の法中会を開催しました

20210514法中会

  今年度最初の宇部北組法中会を開催しました。この法中会は、宇部北組の各寺院から1名のご出席をいただいて、情報を周知し、事業計画や組会への提出議案、その他組の運営について協議し意見をお聞きする会議です。
 今回の第1回は、主として5月25日に開催される初組会が議題となりました。当日の検討内容は次の通りでした。

1.2021年度初組会実施要領
 初組会(年度の最初の組会)を5月25日に船木の「ルネッサンスホール」で開催します。
 これまで会場としてきました「宇部72阿知須スパホテル」が閉館となりましたので、新しく会場を設ける必要があり、新型コロナウイルス感染も考慮して「ルネッサンスホール」を会場とすることとしました。また、例年開催しておりました懇親会は残念ながら中止とします。

2.2021年度初組会議案
 次の議案を提案します。
 ・2020(令和2)年度宇部北組教化活動報告
 ・同上会計報告
 ・同上会計監査報告
 ・2021(令和3)年度宇部北組教化活動計画案
 ・同上会計予算案
 ・宇部北組規約等の改正
 ・「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」実行委員会設置
 最初の5件は例年の議案ですが、6番目の「規約等の改正」は、昨年度検討を行ってきたました改正案を審議していただく議案です。また、7番目の「実行委員会設置」は、宇部北組として勤修を予定しています慶讃法要を企画、実行する委員会を設置するという提案です。

3.その他
 次の事項について情報連絡、確認しました。
 ・2023年に実施する、親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要の団体参拝についてのご連絡
 ・僧侶宗会議員選挙人名簿の確認、
 ・「宇部北組法令集」ファイルのご紹介
  このファイルは、宇部北組が持っている規定類をまとめた「規定集」を作ろうと検討してきたものです。安藤副組長のご尽力で完成したもので、規約等が承認された後、各寺院の住職および代表総代、教化団体の担当者などに配布する予定のものです。

(写真は当日の会議の様子です)

 今回は、前回よりも机の数を増やして、一人1卓として間隔を取る配置としました。
 
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742.『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(31):無碍の一道(4)

20210510シロバナヤマブキs 20210510シロヤマブキs

 これまでの3回、親鸞聖人が「如来が弘誓をおこされた様子は、この『唯信鈔』に詳しく示されている」とされた、『唯信鈔』の部分を学びました。今回からはもう一度、親鸞聖人が記された『唯信鈔文意』に戻ります。

 今回は、聖人が取り上げられた偈頌の第2句目です。

  彼仏因中立弘誓 聞名念我総迎来
  不簡貧窮将富貴 不簡下智与高才
  不簡多聞持浄戒 不簡破戒罪根深
 御文と現代語訳です。

 聞名念我総迎来(名を聞きてわれを念ぜばすべて迎へ来(かえ)らしめん)

 「聞名念我」といふは、「聞(もん)」はきくといふ、信心をあらはす御(み)のりなり。「名(みょう)」は御(み)なと申すなり、如来のちかひの名号なり。「念我(ねんが)」と申すは、ちかひの御なを憶念(おくねん)せよとなり、諸仏称名の悲願(第十七願)にあらはせり。憶念は、信心をえたるひとは疑なきゆゑに本願をつねにおもひいづるこころのたえぬをいふなり。 
 「総迎来(そうこうらい)」といふは、「総」はふさねてといふ、すべてみなといふこころなり。「迎」はむかふるといふ、まつといふ、他力をあらはすこころなり。「来」はかへるといふ、きたらしむといふ、法性(ほっしょう)のみやこへむかへ率(い)てきたらしめ、かへらしむといふ。法性のみやこより衆生利益(りやく)のためにこの娑婆界(しゃばかい)にきたるゆゑに、「来」をきたるといふなり。法性のさとりをひらくゆゑに、「来」をかへるといふなり。

 (「聞名念我」というのは、「聞」は「きく」ということであり、信心を表す言葉である。「名」はお名前ということであり、如来が本願に誓われた名号である。「念我」というのは、その本願に誓われた名号を憶念せよというのである。これは大悲のお心によって誓われた諸仏称名の願に示されている。「憶念」とは、信心を得た人は疑いがないから、折にふれていつも本願を心に思いおこすことをいうのである。
 「総迎来」というのは、「総」はまとめてということであり、すべてのものをみなという意味である。「迎」は「むかえる」ということであり、待つといことであって、それは他力の救いを意味しているのである。「来」は「かえる」ということであり、「こさせる」ということである。法性の都へ迎え、連れて行き、来させ、かえらせるというのである。法性の都からすべてのものを救うためにこの娑婆世界に来るから、「来」を「くる」というのである。法性のさとりを開くから、「来」を「かえる」というのである。)

 親鸞聖人は、「聞名」という言葉を「阿弥陀さまのお名前をお聞きする」ことだとされます。「阿弥陀さまのお名前」とは、私たちを誰一人取り残すことなく必ず救うとされた願であり、間違いなく救うから私に任せなさいという呼びかけであり、そのお名前をお聞きするとは、その呼びかけを信じて疑わないことなのだと示されます。
 『無量寿経』の下巻に「聞其名号信心歓喜」という言葉がありますが、聖人はこれを「その名号を聞きて信心歓喜せんこと、(無量寿仏の名を聞いて信じ慶び)」と説かれ、「名号を聞く」とは阿弥陀さまのご本願をお聞きし、疑うことなく信じ、喜ぶことなのだと示しておられます。
 またこの姿は「聞即信」という言葉で表されます。名号をお聞きすることが、信じて疑わないことなのだと示されています。

 続いて聖人は「念我」の義を説かれ、「ちかひの御なを憶念せよとなり(その本願に誓われた名号を憶念せよというのである)」と示されます。そして「憶念」とは、「信心を得た人は疑いがないから、折にふれていつも本願を心に思いおこすこと」だとされ、聖人は、信心をいただいた私たちの信心が相続される姿をお示しいただいています。
 「念我」について、梅原真隆師は「我」は「ちかいの御な」であって、「念我」は仏体を憶想観念することではないと聖人が示されたとも注意を促しておられます。

 続けて聖人は、「総迎来」の義を説かれます。
 「総」は「すべて残すところなく」という意味で、第十八願の目当てはすべての人びとなのだとされます。それは、次回以降第三句以下でその内容が詳しく示されます。
 「迎」は「迎える、待つ」という意味で、阿彌陀さまがお浄土で待ち迎えていただくという、他力をあらわす言葉だとされます。お浄土で待っていただいているという意味で、いわゆる「来迎」とは違うというところは、以前の学びました「観音勢至自来迎」の句と同じお心です。

 「来」について、聖人は「かえる、こさせる」と信心をいただいた人が阿弥陀さまのお浄土に迎えられ、浄土に往生して涅槃を得ること(往相)を示され、あわせて、衆生を救うためにこの娑婆世界に「くる」こと(還相)の二つの姿を示されます。
 これも以前に学びました「観音勢至自来迎」の句に重なるところです。梅原真隆師は、聖人は「来」を「こさせる」と「かえる」の義だとされ、前者はお浄土に来させること(往相)、後者は法性の都に帰る(涅槃を得る)こと(往相)とさらに再び迷いの世界に戻り衆生を救うこと(還相)を示しているとしておられますが、いずれにしても私たちがお浄土に迎えられ、涅槃を得て、再びこの娑婆世界に還り衆生を救う役割を担う、ことが示されるものです。

(写真は、前回に続いてヤマブキの仲間です。)

 左はシロバナヤマブキ(京都市で撮影)、右はシロヤマブキ(「新宿御苑」で撮影)と言います。
 名前も姿もよく似ていますが、シロバナヤマブキの方は前回登場した山吹色のヤマブキと同じヤマブキ属に分類されますが、シロヤマブキの方は、同じバラ科のシロヤマブキ属という別の属に分類されています。花びらの数がヤマブキ属は5枚、シロヤマブキ属は4枚という違いで見分けることができます。シロヤマブキの方は自生している個体数が減って絶滅が危惧されています。
 
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741.本堂でWi-Fi機能を確認

 
20210507ルーター (2)s 20210507中継器 (2)s 20210507本堂s (2)

 5月3日に母の一周忌法要をお勤めしました。

 母の命日は2月20日なのですが、コロナウイルス感染が拡大していることを考慮し、また2月は降雪も考えられますので、5月の連休に延期することにしました。
 ところがその後コロナウイルス感染状況はさらに悪化し、当日午前に予定していました降誕会も休座することになりました。法事に帰って来る予定にしていた東京の子供2人の一家も帰省を断念することになり、一周忌は当日午後2時からごく少人数でのお勤めとなりました。

 今回初めての試みなのですが、オンラインでお勤めの様子を東京の子供に伝えることとしました。
 もともと、自宅のテレビは山口ケーブルビジョン社のケーブルを使っていて、インターネットもそのケーブル経由で利用していました。その後ルーターを設置して、狭い範囲ですがWi-Fi経由の無線でインターネットやプリンターを使うことができるようにしておりました。

 今回の法事に当たって、本堂でのお勤めの様子をZOOMで東京に伝えようと考えました。しかし、本堂から離れた庫裡に置いてあるルーターの電波が弱いことが分かりケーブルビジョンの担当者に相談したところ、ルーターを新しいものに変えてみよう、ということになりました。
 4月28日にその新しいルーターを設置していただいたのですが、本堂ではまだ十分な電波にならないということが分かりました。工事に来ていただいた方によれば、有線のケーブルを本堂まで敷けば間違いなく本堂でも利用できる、ということでした。しかし、5月3日までに対処が必要ですし、本格的なWi-Fi環境を作ることまでは考えていませんでしたので、一般に販売されている中継器を設置することにしました。ネットで購入した中継器を5月1日に設置し、ZOOMの主催者としての手続までを完了しました。
 5月2日に東京との接続の確認をおこなって、滑り込みで3日の法事に間に合い、当日は、東京からも一家がお勤めに参加することができました。

 このブログでもお伝えしていますが、コロナ感染の拡大は私たちの日常生活に様々な影響を与えています。その中で、リモートワークやオンライン会議なども急速に広がっています。
 本願寺や山口別院でも会議や講演会がオンライン形式で開催されるものが増えています。これは、移動に必要な時間の効率化という思いがけない効果も実感させてくれるものになっていますが、その一方で、当然のことならが直接会って話をするというつながりが薄くなります。

 そのような中で、仏事のオンライン化ということも話題に上るようになってきました。法座の様子を中継するですとか、法事にお参りできない方に遠隔地から入ってもらうなどです。
 今回、図らずもその法事のオンライン化を実験した格好になりました。

 今回感じたのですが、このような技術の進歩は「法事」を始めとした仏事の意味をもう一度問い直す機会になるように思います。情報通信技術により遠隔地からでも一緒にお経を読むことができれば、同じ場に居合わせる必要はないのではないか、という問いにつながります。

 お経を一緒に読むことだけが法事の目的なのだろうか、ということを考えさせられます。それだけだったら、確かにオンラインでの読経でもよいのではないか、ということになります。
 しかし、法事は、お浄土に還られた方をご縁に、阿弥陀さまが私たちを誰一人取り残すことなく救うと願われた所以をお聞きし、報恩の思いを共にする大切な仏事です。いつも見護っていただいている阿弥陀さまとご先祖にお礼申し上げ、その光の中で生活している私たち家族、親戚が、限られた命を一緒に力いっぱい生きていこうと阿弥陀さまのお前に思いを新たにする仏事だと思います。
 そのように考えますと、一同に会しなくてもオンラインで一緒にお経を読めばいい、というのはやはり少し違っていると感じられます。  

 しかし、今回の「実験」で、やむを得ない場合には寺の本堂からオンラインでご一緒に法事をお勤めするというノウハウを得ることができました。またご家庭で法事をお勤めする場合でも、ご自宅と相手先にパソコンがあれば同じようにオンラインでつなぐことも可能だということがわかりましたので、ご門徒さんのやむを得ない状況にも対応することができそうです。

(写真は、今回利用した機器です)

 左は、庫裡のパソコンのそばに設置してあるルーターです。今回新しいものに更新していただきました。
 中は、今回新設した中継器、右は、本堂に設置したパソコンです。パソコンは、左と同じものです。

 今回初めて知ったのですが、Wi-Fiという名称は「無線LAN」の登録商標なのだそうです。そういえばかつては無線LANという言葉が普通に使われていましたが、いつの間にか耳にしなくなったような気がします。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

740.スクール・ナーランダvol.6プレイベント

20210503チラシ  20210503ナーランダ

  来年山口で予定されている「スクール・ナーランダvol.6山口」のプレイベントが開催されますので、ご案内します。

 この「スクール・ナーランダ」は若い方を対象にして企画され、2017年に京都で開催された第1回以来山口が6回目となります。
 『スクール・ナーランダ』とは、「仏教をはじめ、科学や芸術、哲学など多様な分野の最前線で活躍する講師を招き、10代から20代に向けた、新しい学びと体験の場をめざす「現代版寺子屋」です。異分野の対話が予想を超えた化学反応を起こし、現代を生き抜くための智慧を学ぶ場」です。

 この「ナーランダ」というのは、5世紀頃インドの仏教学院があった地名です。お釈迦さまがさとりを開かれたブッダガヤの東北にその遺跡が残されていますが、当時は学生の数1万人、教師も千人、広大な敷地に学舎や寺院、僧院を備えていた、当時としては世界最大の教育施設(大学)でした。

 「スクール・ナーランダvol.6」は、2022年2月に山口県で開催する計画となっており、今回のイベントはそれに向けたプレイベントとして開催されるものです。当初は、県内の寺院を会場に開催される予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大を受けてオンライン開催に変更となったものです。

 その内容は次の通りです。この機会にぜひご視聴ください。

1.期日
 2021(令和3)年5月16日 13:30~16:30
2.開催方法
 You Tube Liveによるオンライン配信(自由に視聴できます)
3.内容
 13:30~ 勤行
 14:00~ クロストーク(大來尚順氏×小川仁志氏)
 15:35~ コラボレーションライブ(藤澤由一氏×山口雅楽会)
4.視聴方法
 ・山口別院ホームページからイベントページにアクセルする
 ・You Tubeで「本願寺山口別院」を検索する
5.関係者のご紹介
 ・大來尚順氏
  浄土真宗本願寺派超勝寺ご住職。以前、このブログでもご紹介した「訳せない日本語~日本人の言葉と心~」の著者でもあります。
 ・小川仁志氏
  山口大学国際総合科学部教授。tysの「mix」という番組に出演されているということです。
 ・藤澤由一氏
  下関市出身の音楽家。ハンマーダルシマーという打弦楽器の奏者、ベーシスト、作曲家でもあります。
 ・山口雅楽会
  浄土真宗本願寺派の僧侶による雅楽・舞楽集団

(図の左は、プレイベントのご案内チラシ、右はナーランダの遺跡です)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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