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721.『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(23):名号の讃嘆(15)

20210226六甲氷瀑s 
 親鸞聖人は『唯信鈔文意』を著され、聖覚法印が『唯信鈔』の中で記された偈頌について、私たちにその意味をお説きいただきました。私たちは、これまでその最初の偈頌4句について学んで来ました。今回の部分で、聖人はこの最初の偈頌について、改めてその総意をお説きになります。4句の偈頌をもう一度見てみます。

   如来尊号甚分明 十方世界普流行
   但有称名皆得往 観音勢至自来迎
  (如来の尊号は、はなはだ分明なり。十方世界にあまねく流行せしむ。
   ただ名を称するのみありて、みな往くことを得。観音・勢至おのづから来り迎たまふ)

 以下、今回の部分のご文と現代語訳です。

  おほよそ十方世界にあまねくひろまることは、法蔵菩薩の四十八大願のなかに、第十七の願に、「十方無量の諸仏にわがなをほめられん、となへられん」と誓ひたまへる、一乗大智海(いちじょうだいちかい)の誓願(せいがん)成就したまへるによりてなり。 『阿弥陀経』の証誠護念(しょうじょうごねん)のありさまにてあきらかなり。証誠護念の御こころは『大経』にもあらはれたり。また称名の本願は選択(せんじゃく)の正因たること、この悲願にあらはれたり。この文(もん)のこころはおもふほどは申さず、これにておしはからせたまふべし。 

(如来の尊号がすべての世界のすみずみにまで広く行きわたるということは、法蔵菩薩の四十八願のなか、第十七願に「すべての世界の数限りない仏がたに、わたしの名号をほめたたえられ、称えられよう」とお誓いになった、一乗大智海の誓願を成就されたことによるのである。それは『阿弥陀経』に、あらゆる仏がたが念仏の法を真実であると証明し、念仏の行者をお護りになると示されていることによって明らかである。そのおこころは『無量寿経』にもあらわされている。
 また、称名念仏が誓われた第十八願は、阿弥陀仏が選び取られた浄土往生の正しい因であることが、この第十七願にあらわされている。
 この文の意味は、十分にいうことができていないけれども、これらのことによってお考えいただきたい。)

 聖人は、最初の2句「如来尊号甚分明 十方世界普流行」を、「すべての世界の数限りない仏がたに、わたしの名号をほめたたえられ、称えられよう、と誓われた第十七願が成就したことにより、南無阿弥陀仏の名号が十方世界にあまねくひろまった。」と説かれ、次いで「そのことは、『仏説阿弥陀経』で諸仏が念仏の法が真実であることをを証明しておられることからも明らかであり、『仏説無量寿経』にもそのことがあらわされている」と説かれます。

 第十七願を見てみます。
 設我得佛 十方世界 無量諸佛 不悉咨嗟 稱我名者 不取正覺
 「たとひわれ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、わが名を称せずは、正覚を取らじ。」
 (わたしが仏になるとき、すべての世界の数限りない仏がたが、みなわたしの名をほめたたえないようなら、わたしは決してさとりを開きません。)

 梅原真隆師は、聖人は第十七願を「わがなをほめられん、となへられん」と受け止められて、それまで解されていた「仏徳称讃」にとどまらず、「称揚(諸仏がほめらたたえ)」と「称念(諸仏が名号をとなえ)」の二つの姿を見出されたとされ、これを「親鸞聖人の卓抜な己證である」としておられます。聖人は、その第十七願が成就し、名号があまねくひろまったことにより、第十八願の十方の衆生を摂取するという願いを成就することを得た、とされます。 
 そして、「また称名の本願は・・」以下の部分で、聖人は「但有称名皆得往 観音勢至自来迎」の2句の意を、「称名念仏の一行により往生をとげることができるという称名の本願(第十八願)の誓いは、この悲願(十七願)が成就されたことによる」とされます。

 このように、親鸞聖人は、今回の4句を通じて、第十七願が成就し名号があまねく流行することにより、あらゆる衆生を摂取したいという第十八願が成就するという、両願の不離の関わりについてお示しいただきました。

 (写真は、再び寒そうな風景ですが、六甲山の「七曲りの滝」です。)
 
 以前にもこの滝の写真を使ったことがありますが、そちらは2010年の冬の写真、こちらは2008年2月16日の撮影です。
 この滝に行く道は、夏場は何ということもないコースなのですが、冬には雪が固まった山道を昇り降りし、滑りやすい岩を歩いてどり着くようなところでした。視界が開けてこの「氷瀑」が目の前に表れると疲れもとれる思いでした。

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720.『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(22):名号の讃嘆(14)

 20210222奈良遠景s
 少し間があきましたが、前回に続いて『唯信鈔文意』に取り上げられた最初の偈頌の第4句です。最初の偈頌を再度示します。

  如来尊号甚分明 十方世界普流行
  但有称名皆得往 観音勢至自来迎

 親鸞聖人は、「迎」という文字について説かれます。御文と現代語訳です。
「迎」といふはむかへたまふといふ、まつといふこころなり。選択不思議の本願・無上智慧の尊号をききて、一念も疑ふこころなきを真実信心といふなり、金剛心ともなづく。この信楽(しんぎょう)をうるときかならず摂取(せっしゅ)して捨てたまはざれば、すなはち正定聚(しょうじょうじゅ)の位に定まるなり。このゆゑに信心やぶれず、かたぶかず、みだれぬこと金剛のごとくなるがゆゑに、金剛の信心とは申すなり、これを「迎」といふなり。
 『大経』(下)には、「願生彼国 即得往生 住不退転」とのたまへり。「願生彼国」は、かのくににうまれんとねがへとなり。「即得往生」は、信心をうればすなはち往生すといふ、すなはち往生すといふは不退転(ふたいてん)に住(じゅう)するをいふ、不退転に住すといふはすなはち正定聚の位に定まるとのたまふ御のりなり、これを「即得往生」とは申すなり。「即」はすなはちといふ、すなはちといふはときをへず日をへだてぬをいふなり。 

 (「迎」というのは、「おむかえになる」ということであり、待つという意味である。如来が選び取られた不可思議の本願、この上ない智慧の尊号を聞いて、ほんの少しも疑う心がないのを真実の信心というのである。この心を金剛心とも名づける。この信心を得るとき、阿弥陀仏は必ずその人を摂(おさ)め取って決してお捨てになることがないので、すなわち正定聚の位に定まるのである。このようなわけで、信心は破られることなく、衰えることなく、乱れることがない。それが金剛のようであるから、金剛の信心というのである。このことを「迎」というのである。
 『無量寿経』には、「願生彼国 即得往生 住不退転(かの国に生ぜんと願ぜば、すなはち往生を得、不退転に住せん)」と説かれている。「願生彼国」とは、阿弥陀仏の浄土に生まれようと願えということである。「即得往生」は、信心を得ればすなわち往生するということである。すなわち往生するというのは、不退転に住することをいう。不退転に住するというのは、すなわち正定聚の位に定まると仰せになっているみ教えである。このことを「即得往生」というのである。「即」は「すなわち」というのである。「すなわち」というのは、時を経ることもなく日を置くこともないことをいうのである。)

 聖人は、「迎」の字義について説かれます。

 「迎」は「むかへたまふといふ(おむかえになるという)」ことであり、「まつといふこころなり(待つという意味である)」といわれます。この部分では、「迎」が臨終来迎(臨終のときに迎えに来ていただく)の意味に混同されやすいおそれがあるところから、「待つ」という意味であることを明らかに記されました。
 その後の部分に説かれているように、信心の人は、金剛(ダイヤモンド)の如き信心をいただき、ただちにお浄土に救いとられることが定まり、「阿弥陀如来は浄土において決定(けつじょう)せる期待をかけて、金剛心の行者をまちたまい、浄土でむかえたもう」(普賢晃壽師)のであって、命終わるとき迎えに来られるのではない、と示しておられます。
 
 後半の部分で、聖人は『無量寿経』の下巻に記された「願生彼国 即得往生 住不退転」というお経文を引用されて、真実の信心をいただいたとき、現生において往生を得、その位から退くことはない、と示され、それが現生で受ける利益(りやく)であることを示されます。

 今回の部分で、親鸞聖人は、私たちは真実の信心をいただき、そのとき直ちにお浄土に救いとられることが決定(けつじょう)し、阿弥陀さまはそのような私たちをお浄土でお待ちいただいているのだとお示しいただきました。決して、前回の図にありましたように命終わるときに阿弥陀さまが「雲に乗ってお迎えに来られる」のではないのだお伝えいただいたのです。

(写真は、2006年1月8日、若草山から見た奈良市の夜景です。)

 この日は、若草山の山焼きの日で、初めて見に行きました。寒い日でしたから、熱燗を魔法瓶に入れて持って行きました。

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719.同朋運動研修会

20210219講演会ss 

  去る2月15日に山口教区の主催で「同朋運動研修会」が開催され、ZOOMによりオンラインで参加しました。

 ご講師は九州工業大学名誉教授の佐藤直樹氏で、「コロナ禍と『同調圧力』」というテーマで講演されました。

 佐藤氏はもともとは刑法を専攻しておられたのですが、1999年に「日本世間学会」を設立されました。そこでは「世間」というものが研究の対象となり、西欧から導入された「社会」とは違った「世間」という「隠された構造」に光が当てられます。

 新型コロナウイルス感染が拡大する中で、「自粛警察」「マスク警察」などという行動が表面化し、感染者や医療関係者に対する差別的な言動、行動も報じられています。このような行動の背景には、「社会」とは別物の「世間」というものが強く働いていると佐藤氏は指摘されます。

 佐藤氏によれば、「社会」というのはバラバラではあるが確立した個人の集合体であって、その結びつきが法律で定められているような人間関係です。言葉としての「社会」は明治時代に日本に移入されたのですが、その後も実際に機能していない、「建前」の関係だと言われます。
 一方、「世間」の方は、確立した個人ではなく集団となった人々とそれを伝統的に規制するルールとによって成り立っている人間関係だとされます。「社会」という概念が入って来てからも、「世間」の方は建前としての「社会」に対して本音として私たちの行動を規制しています。佐藤氏が言われるように、「世間」を適切に表す英語がないこともそのことを象徴しているようです。

 この「世間」は様々な場面でその姿を現します。
 自然災害が発生した場合などに示される日本人の統制のとれた行動や、日本の犯罪率の低さ、清潔な環境などは、人に迷惑をかけてはいけない、集団のルールに従わなければならない、という形で、「世間」が「良い」方に機能した結果だとされます。佐藤氏は、このように「世間」が構成員に対して働きかけ、行動を規制する力を「同調圧力」と命名しておられます。
 今回のコロナウイルス感染に対しても、海外ではロックアウトを実施し、「禁止命令」を出しても感染拡大を抑制することができなかった例が多く見られ、そのような規制に対して反対デモが行われました。この点でも、日本では外出「自粛」、休業「要請」で感染の拡大を抑え込んできたように思われます。ここでも「同調圧力」が効果を発揮したと言えるでしょう。

 ところが、日本の「世間」では、その意志からはずれた行動をとる者がいた場合には、法律によってではなく「世間のルール・掟」によって厳しい対応がなされることになります。「〇〇警察」や夜に営業している店にそれを非難する張り紙を貼るなどの行動がそれに当たります。法律の定めに従っているなされるわけではありませんから、どこまでが非難される行動なのかもはっきりしないままに非難、攻撃がなされます。
 さらには、佐藤氏によれば、病や死はけがれとする伝統的な「世間」により、感染者や医療関係者にまで差別的な行動がとられるのも、同じ「世間」の姿だとされます。
 ここに働いているのも、同じ「同調圧力」だということになります。

 しかも、その非難、攻撃、差別的な行動を起こす場合、それは「世間」のルールに従って悪い行動を正しているという意識で行われますから、その行動はエスカレートしていきます。
 佐藤氏によれば、日本のツイッターなどのSNSの匿名率は75%と世界に比して突出して高いのだそうです。これは実名を出して意見を言うと「世間」から非難されるということを恐れた結果であり、一方で匿名を利用して他人の行動に対する容赦ない非難が行われることにもつながっています。
 さらに悪いことには、以前、中野信子さんがその著『人は、なぜ他人を許せないのか?』で言っておられたように、「正義の行動」をとっているという意識を持つと、他人を非難、攻撃することにより快楽物質であるドーパミンが分泌される、ということですから制御が効かない状態になります。

 このように、コロナ禍は日本の「世間」が持っている「同調圧力」というものの両面を明らかにした、と佐藤氏は言われます。
 そのような現状に対して私たちはどのように行動すればよいのか、佐藤氏は次の3点を指摘しておられました。
 ・自分が何に縛られているのか⇒「世間」と「社会」の違いを理解する
 ・感染者差別の拡大⇒「ケガレの意識」にとらわれていないか⇒「空気を読んでも従わない」小さな勇気
 ・SNSが匿名⇒差別の温床⇒実名でも可能な内容なのか立ち止まって考える

 この講演をお聞きして、私たちの属している「世間」の姿を改めて認識した思いがしました。
 私たちが属している集団である「世間」は、「同調圧力」によって穏やかな安定を維持しようとしてきました。その圧力は、老若、男女、地位、昔ならば主従などの様々な関係から生じるもので、当然に必要なものだと考えられ、その圧力に応じない少数の構成員は、安定を脅かすものだと、非難、攻撃の対象となってきました。集団の中に異質の少数派を見つけ、これを非難、排除、差別することが行われ、しかもそれが集団の安定を維持する「正しい行動」とされてきたというのが「世間」の姿だと思われます。

 中野信子さんは、耕作地が限られ、自然災害に見舞われてきた日本では、このように離反者を出さずに集団としてまとまって行動することが生存のための最適の方法だったと言われます。このような形で集団(「世間」)を維持することは、私たちのDNAに刷り込まれた資質でもあるということになりそうです。
 
 これまで私たちが生きてきた「世間」の中ではなく、自立した個人で構成された「社会」の中で、「自他ともに心豊かに生きる社会」を求めていくという視点が必要だと感じました。

(写真は、当日パソコンの画面に写された出席者の映像です。ご講師は右下の人です。私は上中央で、カメラを構えてこの画面を写そうとしています。)

 自宅にいながらオンラインで講演会に参加できるという方法は、コロナ禍への対処として急速に普及してきました。自宅と山口別院を往復する約2時間の時間を節約することができますし、ウイルスへの感染防止にも有効です。一方で、顔を合わせて話し合うというアナログな(?)関係の良さは失われて少し淋しい思いもありますが、新しい形に慣れていくことが大事なのでしょう。
 
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718.歴史を訪ねる(26):講演会「プレイバック宇部100年」(2)

 
20210215新聞1号s  20210215新聞2号s 

 2月6日、「プレイバック宇部100年」の第3回講演会が開催されて、聴講することができました。
 当日は、「新聞が伝えた宇部市制ー宇部時報の記事から」と題して、宇部日報社の脇和也社長が講演されました。新聞の記事から宇部市制施行当時の社会状況を知ることができ、また現在の「宇部日報」の前身である「宇部時報」の歴史も知ることができる興味深い講演でした。

 その「宇部時報」は、1912(明治45)年7月15日に創刊された新聞です。
 今回初めて整理して理解することができたのですが、日本の新聞は大きく区分すると、全国紙、ブロック紙、県紙、地域紙といったように区分できるようです。全国紙というのは読売、朝日、毎日、日本経済、産経の5紙、ブロック紙以下を宇部市地域で言いますと、中国新聞(ブロック紙)、山口新聞(県紙)、宇部日報(地域紙)ということになります。

 この「宇部日報」の前身が「宇部時報」で、上記のように1912年に紀藤閑之介氏が創刊されました。
 日本の新聞が創刊された時期を調べてみますと、全国紙の中では「毎日新聞」の前身「東京日日新聞」が1872(明治5)年と一番早く、「産経新聞」以外は1879年まで、いわゆる自由民権運動の時代に創刊されていたことが分かります。ブロック紙としての「中国新聞」の創刊が1892(明治25)年、県紙の「山口新聞」は戦後の1946(昭和21)年となっています。

 そのような中でスタートした「宇部時報」は、当初は月刊紙で現在のフリーペーパーのように購読料、送料などすべて無料で、紀藤氏が費用を負担して発行されていたということです。

 講演の中で創刊号の記事が紹介されていました。
 1面の最初に「御製」として「世の中は高きいやしきほどほどに 身をつくすこそつとめなりけれ」という明治天皇御製の歌が掲げられ、続いて次の創刊の辞が掲載されています。
 「国を知らざるは忠良の民にあらず、村を知らざるもの果して善良なる村民と云ふを得るか」と書き起こし、当時の宇部村に関する公私の情報を集めたがこれを一人だけのものにせず共有するために「宇部時報」を創刊した、ということが述べられています。
 続いて発行された第2号は大正元年8月15日付けと年号が変わりました。ちょうど明治から大正へと時代が変わる時だったということになります。

 創刊の前後から昭和時代の宇部地区について見ますと、1889(明治22年)宇部村誕生当時の人口が6.5千人、渡辺祐策氏が沖の山炭鉱を創業した1897(明治30)年を経て新川地区は人口の急増を見ます。「宇部時報」が創刊された1912(明治45)年の人口(時報第1号で上記の創刊の辞に次いで「宇部村本籍者数」として明治44年末の人口の情報が掲載されています)12.3千人と20年余りで倍増していることが分かります。その後、炭坑の周辺の事業が活発化し工業都市化が進み、宇部市制が施行された1921(大正10)年に4万人、1929(昭和4)年に6万人、1940(昭和15)年には10万人を数えたと当日いただいた資料にありました。

 そのような地域の急速な発展を背景にして、宇部市制が求められ実現しました。その動きを新聞の記事に見ることができます。

 1916(大正5)年6月の「宇部時報」に町制に移行すべきだとする記事が掲載され、1919(大正8)年6月には市制を目指すべきだと変わります。1920(大正9)年7月には宇部実業会が市制施行の嘆願書を提出したという記事が掲載され、翌年には当時の国吉村長が「市制論」を掲載するなど、「宇部時報」は市制移行への機運の盛り上げに大きく貢献したことが分かります。

 その間、国吉村長が達聰会に市制移行に関する照会書を送り、これに対して達聰会は議論の上総会で市制施行を決議し村長に答申書を提出しました。それを受けて村議会は満場一致で市制を決議し内務大臣と知事に答申するという形で、市制施行が決したことが記されています。
 そのような過程を経て1921(大正10)年11月1日宇部市制が施行されることになったのですが、市制施行に対して反対する動きがあったことも新聞の記事から伺うことができます。

 1919(大正8)年の記事には、渡辺祐策氏(当時の達聰会の会長でした)が、町制よりも市制を目指すべきだとしながらも、一般村民の声にも耳を傾ける必要がある、とされたという談話が掲載されています。村内の農業を主体とした地域の反発や、前年に勃発した米騒動の経験も踏まえた意見だったようです。
 講演会では、1921(大正10)年7月15日に開催された達聰会の総会(3回目の総会)での議論の様子を伝える新聞記事が紹介されました。その記事からは、農村部の会員から市制に加わらずに分村するという主張がなされ、伯仲した議論が戦わされたことが知られます。それに対して渡辺会長が破顔一笑「もう決めようではないか」と提案し決議することとなったようです。その結果、全会一致とはいかなかったものの、「大多数」の賛成を得て「市制施行の必要を認む」と決議したことが記されていました。
 7月15日ですから、市制施行のわずか3カ月半前、ということになります。

 このように、「宇部時報」の記事は宇部市の市制施行の経緯を知ることができる貴重な資料ということができます。

(図は、「宇部時報」の第1号、及び第2号の1面の記事です。)

 市立図書館で縮刷版を見ることができました。
 第2号には紀藤氏の「告白」という記事が掲載され、次のように記されています。
 「嚮(さ)きに第一号を頒布するや、幸いに読者多数の同情を得、口に筆に或は次号の発刊を迫るあり、或は期日を問ふあり、或は定期に永続すべきを勧告せらるるあり、」と次号以降の継続定期発刊を望む多数の声が寄せられたことが紹介されています。
 これに対して、氏は「定期」という言葉は耐え難い「苦痛」だとしながらも、読者諸氏の同情にも答えなければならない、として定期発刊とすることにした、とされています。

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717.新聞版「壽福寺だより」を発行しました

1面  2面 
  新聞版「壽福寺だより」の2月号(第50号)を発行し、ご家庭にお届けしています。
 今月号の記事は次の通りです。

〇1面
 「総代会を開催しました」
  1月31日に開催しました総代会について、当日審議された議題、令和2年度の決算内容、総代さんのお名前などの情報をお届けしています。

 「春季永代経法要のお勤め」
  総代会では、お勤めするかどうか検討する、としておりましたが、3月6日に新型コロナウイルス対応を行いながらお勤めすることとし、その旨ご連絡しています。

〇2面
 「住職継職奉告法要について」
  総代会で、今後具体的に検討を進める旨承認いただきました法要について、その概要を説明しています。

 「組長日誌(4)四役会」
  連続記事ですが、今回は四役会についてご紹介しています。

 「ご紹介します(11)志賀麗子さん」
  先にこのブログでもご紹介した、志賀麗子さんに関する記事です。

 「山口別院の年間行事計画です」
 
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716.総代会を開催しました

20210208総代会s 

  1月31日、定例の総代会を開催しました。
 新型コロナウイルス感染の中での開催でしたので、会議は庫裡ではなく本堂で行う、昼食はお持ち帰りいただくなどの対策を行って実施しました。
 当日実施された内容です。

1.自己紹介
 出席された方に自己紹介をお願いしました。なお、今年度は次の方が交代して就任されました。
 伊佐地区:岩崎賢治さん、宇内地区:志賀桂一さん、徳坂地区:上田寿一さん
 また、今年から、仏教婦人会とも協働しようと婦人会の会長の井上愛子さんにも出席をお願いしました。

2.代表総代挨拶
 井上啓志さんからご挨拶をいただきました。

3.議事
 〇2020年度報告、会計報告
  住職から次のような報告を行いました。
   2月の前坊守逝去に伴うお礼
   法座(年間5回を予定したのですが、新型コロナウイルス感染の影響により2回となりました)へのご協力へのお礼
   住職の組長就任に関する報告
 〇2020年度会計監査報告
  岩﨑明さんから監査報告を行っていただきました。
 〇2021年度計画
  住職から、今年度の寺の年間行事計画、別院の行事計画、宇部北組の行事計画について説明しました。
 〇住職継職奉告法要
  ・井上代表総代から奉告法要勤修について提案いただき、住職から奉告法要の趣旨、実施内容、予算、検討計画など概要について説明を行いました。
  ・今後、新聞「壽福寺だより」で情報を伝達しながら、三役を中心に実施案の詰めを行い、臨時総代会で承認を得た上で、ご 門徒さんにご協力をお願いすることとなりました。

(写真は、当日ご出席いただいた方です。)

 写真撮影の時だけ、マスクを外していただきました。

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715.御正忌報恩講でのご門主のご親教

 20210205ご門主ご親教2

 本願寺の御正忌報恩講は1月9日より16日まで営まれました。
 今年は、コロナウイルス感染への対応を行っていた上に、期間中の1月13日には京都府を対象に緊急事態宣言が発出されるという事態になり、さらに対策を加えるなど大変なご苦労の中でのお勤めになりました。

 15日の午後のお勤めに際してご門主からご親教(ご法話)をいただきましたので、以下その内容をお伝えします。

 本年も1月9日よりおつとめしてまいりました御正忌報恩講は、本日、大逮夜をお迎えいたしました。新型コロナウイルス感染症の拡大により、 1月7日に首都圏の1都3県に、 13日には京都を含む7府県が追加され、1都2府8県に緊急事態宣言が出される中での御正忌となりました。
 例年のように多くの皆さまにご出勤ご参拝いただくことができず、関連行事も多くを取りやめることとなりました。感染拡大が続く中で、私たちの命を守るためのやむを得ない決断ですので、ご理解いただきたいと思います。
 世界で最初の新型コロナウイルス感染症による死者が確認されてから1年がたちました。新型コロナウイルス感染症により、お亡くなりになられた国内外のすべての方々に謹んで 哀悼あいとうの意を表しますとともに、 罹患りかん されている皆さまに心よりお見舞い申しあげます。また、治療・対策にあたられている医師、看護師をはじめとする医療従事者の方々、ライフラインの維持に努めておられる方々に深く敬意と感謝を表します。
 さて、これまで本願寺での報恩講は、全国から多くの僧侶、寺族、門信徒の方にご出勤ご参拝いただき、おつとめしてきました。御影堂の親鸞聖人の 御真影ごしんねい の 御前おんまえ で浄土真宗のみ教えを聞き、ご参拝の皆さまとともに報恩のお念仏を称えるという、まさに私が阿弥陀さまのおはたらきに出 遇あ うことができたことを、いつも以上に味わわせていただく喜びの時間でありました。
 しかし、今年は多くの皆さまとともにそのご縁を持つことができず、特に緊急事態宣言発出後は皆さまに御影堂でゆっくりとご参拝いただくことができなかったことは、誠に 遺憾いかん に 堪た えません。 諸行無常しょぎょうむじょう の世を生きる私たちであることを改めて実感するとともに、親鸞聖人が『 教行信証きょうぎょうしんしょ 』に書かれている「ああ、 弘誓ぐぜい の 強縁ごうえん 、 多生たしょう にも 値もうあ ひがたく、真実の 浄信じょうしん 、 億劫おくこう にも 獲え がたし。たまたま 行信ぎょうしん を 獲え ば、遠く 宿縁しゅくえん を慶べ。もしまたこのたび 疑網ぎもう に 覆蔽ふへい せられば、かへつてまた 曠劫こうごう を 経歴きょうりゃく せん。誠なるかな、 摂取不捨せっしゅふしゃ の 真言しんごん 、 超世希有ちょうせけう の 正法しょうぼう 、 聞思もんし して 遅慮ちりょ することなかれ」 (註釈版聖典132ページ)とのお言葉が深く胸に迫ります。しかし、どのような状況にあっても、これからも阿弥陀さまのおはたらきを聞き、お念仏の中に日々を過ごしてまいりましょう。
 なお、宗派、本願寺、築地本願寺や全国のお寺では、パソコンやスマートフォンを利用してみ教えをお伝えしたり、法要にご参拝していただく取り組みを行っていますので、ご自宅でも浄土真宗に触れていただく機会にしていただき、また、ご縁ある方へもお勧めいただきたいと思います。
 1月8日の「京都府感染拡大警報」では、「感染者の多くが無症状・軽症であることを考えれば、より多くの方が感染していても自覚がなく、通常の日常生活を送ることで知らず知らずのうちに感染を広めている可能性も否定できない状況である。これ以上感染を拡大させず、通常の医療が停止するような事態を招かないためには新規感染者の発生を抑えることが第一であり、府民一人ひとりの行動の 自粛じしゅく ・自制を強く要請する」とされ、また、テレビでは医療従事者の方が「医療従事者への最大の支援は、感染しないことです」と語られていました。
 このような状況の中、私たちは一人ではなく、社会の中で、すべての人々と手を携えて共に歩む念仏者であるということに改めて思いを致し、日々を過ごしてまいりましょう。

(写真は、ご親教を述べられるご門主です。本願寺のホームページからお借りしました。)

 ご門主のご親教は感染防止のアクリル板ごしにされています。

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714.四役会を開催しました

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  2月29日、宇部北組の四役会を開催しました。
 この四役会についてこれまでこのブログでは触れる機会がありませんでしたが、三役(組長と安藤良樹氏、山名学道氏の副組長お二人)と「御同朋の社会をめざす運動」リーダー(教区の委員でもあります)の福川健三氏の4名がメンバーとなっています。
 組の正式の機関ではありませんが、様々な課題について意見交換や情報交換を行い、時には一杯呑んだりと、今年度10回目の会合となりました。

 今回話し合った議題について少しご紹介します。

1.教化団体研修会
 今年度は新型コロナウイルス感染防止のため教化団体の研修会を開催できずにいますが、仏教婦人会と仏教壮年会合同で2月18日に研修会を実施することを計画しておりました。研修会では以前ご紹介した映画『ドキュメンタリー沖縄戦』を鑑賞し学ぶことにし、開催通知もお送りしたのですが、宇部市での新型コロナウイルス感染拡大を受けて、研修会は中止することとしました。
 3月には、推進協議会と総代会の合同研修会を予定しているのですが、これについても2月の第一週までに開催するかどうか決めることとしました。

2.2021年度初組会
 議案に関する資料作成依頼から初組会までの実施事項とスケジュールを確認しました。
 これまで開催してきた会場のホテルが休止するという情報があり、代替の会場について情報交換を行いました。

3.親鸞聖人御誕生850年、浄土真宗立教開宗800年慶讃法要
 本山では、2023年の3月から5月の間に慶讃法要がお勤めになります。この時期を前後して、山口別院でも勤まり、また各寺院でもお勤めすることになっております。宇部北組としても法要をお勤めしようと、実施時期、検討組織等について意見交換を行いました。その内容については、次回の初組会に提案することとなります。

4.ブルゾンの制作
 前回の法中会で決定し発注したブルゾン(Lサイズ50着、Mサイズ10着)が入荷しましたので、メンバーで確認しました。4月の「花フェス2021」でお披露目となります。

 このように、四役会は課題について幅広く意見交換と情報交換ができる場となっており、今後も月に1回程度開催する予定です。

(写真は、出来上がったブルゾン(イベントブルゾンと呼ぶのだそうです)の正面(左)と背中(右)です。)

 ブルゾン制作に当たっては、西岡芳之氏、安藤良樹氏におせわになりました。

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)

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