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678.ご門徒さん紹介(12):志賀学さん

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  ご門徒さん紹介はちょうど1年ほど間が空きましたが、徳坂の志賀学さんをご紹介します。

 志賀さんはそば打ちを楽しんでおられ、春と秋のお彼岸にはご自分で打たれたそばを持ってお参りされます。私もそばが好きなので、いつも(ひそかに)楽しみにしております。

 9月20日にもお参りいただきましたので、お話を伺うことができました。
 志賀さんもそばが好きで、自分で打ったそばが食べたいと思われたのだそうです。それで、防府で開催されていた「山口そば打ち倶楽部」に通い始めて技術を学ばれたそうです。今から約10年前のことでした。
 私も、自分でそばを打てるようになったら楽しいだろうな、と思うことはありましたが、実行には移しておりません。志賀さんは行動的なのです、それにも感心してしまいます。

 そばの味を決めるのは、材料と打つ際の水回しなのだそうです。
 材料はそば粉が8割、つなぎの小麦粉2割としておられるようで、やはり国産のそば粉がおいしく仕上がるのだそうです。
 その材料に水を加えて小さな丸いそばの玉をつくり、それをまとめて練り、延ばして薄い長方形の形に成型します。それを折りたたんで、細く(1-2ミリくらいでしょうか)に切って出来上がりとなります。手際よく短時間でこの過程をこなすこともコツだと言っておられました。

 言葉で書くとこのようなことなのですが、それぞれの「工程」に微妙な技が込められているようです。
 出来上がったそばを見ますと、きれいに太さの揃ったものに見えるのですが、ご本人は「いやいや、まだまだですわ・・。先生が打ったのとは味も違うのです」ということですので奥の深さを感じます。

 それと、これは20日に初めてお聞きしたのですが、志賀さんは炭焼きもやっておられます。昔は各家庭で、自家で使う炭を焼くというようなこともあったそうですが、今はそのようなご家庭はほとんどないと思われます。

 徳坂のお宅に伺って、炭焼きの窯を見せていただきました。
 志賀さんは約6年ほど前にこの窯を作られたそうです。以来、暑い夏季を除きほぼ毎月炭を焼いてこられたということです。これも微妙な管理が必要なようで、煙の色を見ながら焼き方を調整する、などということをお聞きすると大変な管理になるようです。それで、最初のうちはうまく焼くことができなかったとか。

 今は、バーベキュー用の燃料として使われることも多いとのことです。秋吉台の家族旅行村のバーベキュー施設でも使われているということで、以前その施設でバーベキューをやったこともありますので、あの時も志賀さんの炭だったのかも、と思い出されました。

 このように何事にも前向きに取り組まれている志賀さんです。元気で、おいしいそばを作り続けてください。

(写真左は炭焼きの窯の前の志賀さん、右は20日にいただいたそばです)

(このブログは毎週2回、月曜日と金曜日に新しい記事を載せる予定ですので、また覗いてみてください)
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677.映画「ドキュメンタリー沖縄戦」(2)

20200925沖縄戦s   20200925沖縄戦2s 

  もう一度、映画「ドキュメンタリー沖縄戦」について考えたいと思います。
 9月18日にウェブ中継されました千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要に引き続いて、「映画を通じて非戦・平和を学ぶ会」が開催され、映画「ドキュメンタリー沖縄戦」をもう一度観ることができました。

 前回この映画を観た時にも感じたのですが、今回も「教育」というものが持つ力について考えながら観ていました。

 映画の中で、戦前の日本において皇国史観に基づく教育が徹底して行われていたことが語られていました。沖縄はかつて日本から独立した文化や歴史を持ったことから、沖縄で使われていた言葉を禁止するなど、特に「皇国」に一体化する教育が強力に推し進められていたという説明がなされていました。

 映画の中では、「鬼畜米英」という言葉や「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」という「戦陣訓」の言葉が人々の行動を縛ったことが描かれていました。
 これらの言葉(教え)は、住民を巻き込んだ戦闘が絶望的な戦況に陥っても、なお、住民が投降することを妨げるものになりました。
 米英軍を中心とした連合国軍は戦闘の間も、住民に対して投降するように呼びかけを行いますが、上記のような教育を受けてきた住民はこれに応じません。そんな中で起こった一つの事例が映画の中で取り上げられていました。

 それは、一つの集落が二つのガマ(戦闘の中で住民たちが身を隠した天然の洞穴です)に逃げ込んだという事例です。その一つのガマの住民は、連合国軍に投降しようとする動きを止められ、多くの命が失われました。もう一つのガマにはハワイで生活をした経験を持つ住民がいて、実体験で「鬼畜米英」という教えが間違っているとガマの住民を説得し、自ら連合国軍と交渉しました。その結果、そのガマの住民は捕虜となったのですが命を落とすことはありませんでした。
 ハワイで生活したこの住民にとっては、「鬼畜米英」という言葉が力を持たなかったのだと言えます。

 私たちは、教育は大事なものだと考えます。しかし、その教育が私たちを間違った方向に導くこともあるということを、この事例は示しています。さらに難しいのは、この「間違った方向」というのが絶対的なものではない、ということです。判断した時は「間違っていなかった」というものも後で振り返ってみると「間違っていた」ということもあるからです。

 私は、教育を重層的なイメージで見ていく必要があるように思います。
 一番基礎にあるのは、絶対にしてはならないこと、しなければならないこと、を教えることです。これは、時代が変わっても環境が変わっても変わらない普遍的なものです。人を傷つけてはいけない、人を差別してはいけない・・・などです。これは、徹底して教えなければならないと思います。

 その上の層としてあるのは、私たちが実体験によって身につける知恵のようなもので、定型的な教育や座学によって教えられるものではありません。映画の中で、ハワイ在住経験を持つ住民が身につけた知恵、「鬼畜米英」は誤りだという知恵、が「皇民教育」を無力にしたことがこれに当たります。この知恵は、現実的な判断を下すことに有効なものですが、一方でその判断は当人の経験に基づくものですから、その経験に制約されるという一面もあります。

 そして、その上に定型の教育があります。この教育には知識に当たるものから「戦時の教育」に至るものまで、外から与えられるものです。これは、純粋な科学的な知識から、「皇国思想」などの思想教育まで幅広いものを含むものです。この中身を、永遠に変わらない真実と、時代によって変わるものとに区分することができるかもしれませんが、その境界の線引きは難しいようにも思われます。科学的な知見や歴史も時代によって修正されることがあるからです。

 こうしてみると、私たちは、上記の三つの「教育」から得られた「規範」、「知恵」、「知識」を使って判断を下し、行動しているのだと思います。判断し行動する私たち自身も刻一刻変わっていきますし、貪欲、瞋恚、愚痴という煩悩から逃れることができません。その私たちが正しい(と、そのとき思われる)判断を下すためには、この「規範、知恵、知識」を総動員することが必要だということになります。この三つを使って、それぞれの判断の当否をチェックしていくこと、なによりも一番基礎の「傷つけてはいけない、差別してはいけない・・」に反していないか、というチェックは欠かすことができない大事なことだと思います。

 映画が上映された後の講演で、映画の制作に携わっておられた本願寺総合研究所の香川真二氏は、「この映画は何度も観て、考えてください」と言っておられました。様々なことを考えるきっかけになる映画だと思います。

(写真は、当日いただいた資料からお借りしています)

 左は裏表紙で、捕虜となった住民の姿や、日本軍の軍人の集合写真、軍用機・米英軍の写真があり、その中央に笑顔を見せている子供の写真が置かれています。この子の笑顔に救われた思いを感じながら、この子が直面した恐怖や悲しみのことを思わずにはおれません。

 右には映画を観て寄せられた感想が掲載されています。その右の一番下に次の文章がありました。
 「結局生き延びる可能性があった方々の生き延びる道が閉ざされた原因は教育だった。個の気持ちの持ち方が大切であると再び思わされた。(40代女性)」
 同じ思いを感じながら、この「個の気持ちの持ち方」をどのように確保するのか、の難しさを感じています。

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676.千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要(WEB法要)

20200921ウエブ法要s

  9月18日、東京ので厳修された全戦没者追悼法要のウェブによる中継法要が山口別院で勤められ、お参りしました。

 この追悼法要は、毎年、千鳥ヶ淵にあります国立の戦没者墓苑で勤められるものですが、今年は新型コロナウイルス感染拡大に対応するために、一般の参拝を中止することになったものです。そのかわり、法要の様子がウェブで中継され、私たちも山口別院でご一緒にお参りすることができました。

 この国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑は1959(昭和34)年に建てられた国立の墓苑で、主に「アジア・太平洋戦争」で亡くなられた軍人及び民間人で、ご遺族のもとに帰ることができなかった約35万の方々のご遺骨が納められている場所です。
 9月18日は、1931(昭和6)年に柳条湖事件が起こされた日で、この事件はアジア・太平洋戦争の実質的な起点となる事件でした。浄土真宗本願寺派では、1981(昭和56)年以来、この日に千鳥ヶ淵墓苑において全戦没者追悼法要を勤めてきました。

 9月18日の当日、別院では、開会式に引き続き、千鳥ヶ淵での法要の様子が本堂のスクリーンに映されました。
 13:15に千鳥ヶ淵で平和の鐘が撞かれるのと同時に、別院(および各寺院)でも鐘が撞かれ、岩上智康総長が「平和宣言」を読まれました。
 総長は、宣言の中で、私たちは戦後70年に当たって、争いを引き起こす構造的な課題を解決することの必要性について考えましたが、新型コロナウイルス感染に面して私たちの心の中に潜む自己中心性があらわなものになっています、と指摘されました。そして、対立や排除ではなく心を通い合わせ、痛みを分け合い、協力し合って生きていく社会の実現に向けて努力していこう、と呼びかけられました。

 引き続き、法要では「正信念仏偈作法」により「三奉請」「表白」に続いて「正信念仏偈」を拝読いたしました。
 最後に「み仏にいだかれて」を斉唱し法要は終了しました。

 私は、この法要にお参りすることとともに、ウェブによって中継される法要がどのようなものなのか、ということも実感してみたいと思い参拝ました。例えば、ご門徒さんの法事を寺でお勤めし、遠隔のご親族にはウェブを通じて離れた場所で一緒にお参りしてもらうという方法が実際に行われているとお聞きしています。そのような場合に、実際にどのように感じられるのか知りたいと思っております。

 ウェブでの映像ととともにお勤めをしてみましたが、「臨場感」というものは確かに不足しているという感覚がありましたが、ご一緒にお勤めし、同じお経を拝読しているという「一体感」は感じることができたように思います。なぜなのか分かりませんでしたが、特に最後の「み仏にいだかれて」を一緒に歌うときには、その思いを強くしたように感じました。

 今後山口教区でも、オンライン法要・法事に関する研修講座が予定されていますので、さらに体験し学びたいと思っております。

(写真は、当日の別院の本堂の様子です)
 
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675.最近の話題(53):台風による「水害」

 
20200918電柱作業s1   20200918ポンプ小屋s   

 台風9号、10号と二つの台風が相次いで接近し通り過ぎていきました。皆さんのお宅では被害はありませんでしたでしょうか?
 寺では、台風10号により「水害」が発生しました。「水害」といいますと、浸水が床下や床上まであがるという被害ですが、今回の寺の「水害」はこれとはちょっと違った「水に関わる被害」です。

 まず、前々回、法中会に関する記事でも少し触れましたが、9月7日朝、台風10号が通過した後、井戸のくみ上げポンプが動かなくなっていることが分かりました。寺には公共上水が来ておりませんので、水はこの井戸からの水だけ、これが止まると断水状態になります。

 それで、井戸をボーリングをしてくみ上げ設備を設置していただいた業者さんに来てもらって調べてもったところ、原因が電気の供給の方にあるらしいということでした。それで、電気工事の業者さん(中国電力の業務を請けておられる業者さんです)に調べてもらったら、中国電力から供給されている200ボルトの電気のトランスにあるものとポンプ室に分かれる場所にあるものの両方のヒューズが切れていることがわかりました。台風による停電の影響だろうということで、これを修理してもらいました。
 これで必要な電気が供給されるようになって、ポンプを運転しようとしたら今度はその操作盤のヒューズと自動運転のスイッチも壊れているということが判明し、もう一度ボーリング業者さんに来ていただき応急の処置をしていただいて、ようやく給水を再開することができました。これで8日の法中会直前に水の供給ができるようになったというわけです。
 
 二つ目の「水害」は風呂へ給湯ができなくなったことです。もともと湯の出方が弱かったのですが、さらに悪化して給湯している途中に湯沸かし器の火がとまり、水がでるようになるという状態になりました。11日に、水道工事の業者さんに来ていただいて、チェックしてもらったところ、風呂の湯がでる蛇口のフィルターに小さな砂がたまって出にくくなり、それが原因で湯沸かし器の火が止まるという状態になっていたようです。上記のポンプの電源が回復した際に、最初に土交じりの茶色の水が出たのですが、それが原因だったようです。ということで、こちらは原因が分かり対処を済ませることができました。

 もう一つの「水害」は雨漏りでした。昨年の10月に庫裏に雨漏りが発生し、総代さんお二人にお願いして対処していただいたのですが、今回ほかの場所で発生しました。
 14日、総代さんの田中光明さんに屋根の点検をお願いしました。その結果、台風の強風で瓦が浮いた形跡があり、またたくさんの枯葉が屋根に残っていました。それが原因だろうということでこれも対処が終わりました。寺の周囲には木立があり、これは強風に対しては防風林のような役割を果たしてくれているのですが、その分落ち葉が大量に降り注ぎます。屋根を見てみますと、前回きれいにしていただいたのですが、大量のスギやイチョウ、タケの葉が屋根に残されておりました。これも取り除いていただき、すっきりした屋根になりますた。

 今回の「水害」(「水難?」)で、水(害を与える水も含めて)の大切さを感じることができました。
 私が子供の頃、当時の寺の井戸(今よりは浅かったのだと思います)の水の出がよくなかったことを思い出しました。渇水期になると石段横の岩﨑さんのお宅の井戸で水をもらって、父や叔父が天秤棒の前後にバケツをつけて水を運び、冬には、降った雪を水の代わりに五右衛門風呂に入れていたことなども思い出しました。
 現在は、井戸を深く掘ってそのようなことはなくなりましたが、それでもちょっと不都合があると大騒ぎをしてしまいます。

 寺の井戸からくみ上げた水は水質検査も済んでおり、夏でも冷たくおいしい水です。
 その水も、供給される電気と、まあなんとたくさんのヒューズに支えられていることかと、びっくりしました。また、それを維持するために、いざというときに多くの方に支えられていることにも改めて気づきました。
 記してお礼申し上げます。
 
(写真は、電柱作業の様子と更新した操作盤です)

 新しい操作盤は、電圧、電流の情報がデジタル表示で確認できる最新式なのだそうです。

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674.『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(9):名号の讃嘆

  ダンギク4s     20200914ダンギク 

  「『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む」は今回から両書の内容について学びます。

 親鸞聖人は、聖覚法印が『唯信鈔』に記された偈頌(言葉)を取り上げて、その意味をお説きになっておられます。従って、関連する御文は、親鸞聖人が取り上げられた偈頌とそれが記された聖覚法印の『唯信鈔』の該当する部分、および『唯信鈔文意』において聖人がその偈頌について分かりやすく説かれた文章の3つがあることになります。

 このブログでその3つをどのように取り扱ったらよいのだろうか、と考えたのですが、まずは次の要領で進めたいと考えております。(うまくいかなかった場合は、途中でやり方を変更しましょう)
 ・最初に、親鸞聖人が取り上げられた偈頌を記します
 ・次いで、聖覚法印がその偈頌を記された『唯信鈔』の該当する部分について学びます
 ・そして、親鸞聖人が『唯信鈔文意』でその偈頌について私たちに説かれた内容について学びます

 本日はその第1回目になります。親鸞聖人が最初に取り上げられた偈頌です。

 如来尊号甚分明 十方世界普流行
 但有称名皆得往 観音勢至自来迎

 (如来の尊号は、はなはだ分明(ぶんみょう)なり。十方世界にあまねく流行(るぎょう)せしむ。
  ただ名を称するのみありて、みな往くことを得(う)。観音・勢至おのづから来たり迎へたまふ)

 この偈頌を記された聖覚法印の御文は次のような文章で始まっています。(これが、『唯信鈔』の最初の御文でもあります)

 「それ生死(しょうじ)をはなれ仏道をならんとおもはんに、二つのみちあるべし。一つには聖道門、二つには浄土門なり。」
 (生死の迷いから離れて仏道を修めようと思えば、二つの道があります。その第一は聖道門であり、第二は浄土門です。)

 これに引き続き、聖道門について次のように記されます。
 「聖道門といふは、この娑婆世界にありて、行をたて功をつみて、今生(こんじょう)に証(しょう)をとらんとはげむなり。」
 (聖道門というのは、この娑婆の世にあって、自らの力を頼って修行し、功徳を積んで、この世でさとりをひらこうと励むことです。)
 これに引き続き聖道門の修し難いことを述べられた後に、浄土門については次のように記されます。
 「二つに浄土門といふは、今生の行業(ぎょうごう)を回向(えこう)して、順次生(じゅんじせい)に浄土に生まれて、浄土にして菩薩の行を具足して仏に成らんと願ずるなり。この門は末代の機にかなへり。まことにたくみなりとす。」
 (次に、浄土門というのは、この世での行を他に振り向けて、次に浄土に生まれ菩薩の行をそなえてさとりをひらくことを願うものです。浄土門は末法の世の人びとにかなうもので、まことにたくみなものです。)

 このように『唯信鈔』において聖覚法印が最初に述べられたのは、聖道門、浄土門のいわゆる聖浄二門についてです。
 法印は、聖道門について語られる前半の部分で、この世でさとりを得ようとすることは「まことに教の本意しかるべけれども」と、この道は仏の教えにかなっている、とされながらも、「まことにこれ大聖(だいしょう)を去ることとほきにより、理ふかく、さとりすくなきがいたすところか。」(お釈迦さまの時代から遠く隔たったことにより、み教えの深さを理解できなくなっているからか)末法の現在ではそれは不可能なのだとされます。
 法印は、一方、浄土門は、この末法の時代の私たちのために整えられた法門であり、誠に「たくみ」なものだと讃嘆されます。

 このように、聖覚法印は、『唯信鈔』を「聖浄二門」から始められています。それは、師の法然聖人が著された『選択本願念仏集』の章建てに従われたもので、法印は、この書により法然聖人の教えをわかりやすく伝えようとされたことが伺えます。それはまた、親鸞聖人がお弟子さん方(私たち)にこの書を熟読するように何度も勧められた所以でもあります。

 今後の記事で、『唯信鈔』の現代語訳は、ほかに訳文を見つけることができなかったこともあり、『親鸞に学ぶ仏教の極意 唯信鈔文意』(加藤辨三郎氏著 二橋進氏訳 PHP研究所刊)を参考にさせていただきたいと思っています。
 ただ、上記の「この門は末代の機にかなへり。」の部分の訳については同書の訳に少し疑問を持ちました。
 同書の訳は「浄土門は後の世の人びとの願いをかなえさせます」とされているのですが、「浄土門は末法の世の人びとにかなう(適合する)」という意味ではないかと思い、その部分は修正しました。これからも、御文をしっかりと読み込んでいきたいと思います。

(写真は、ダンギクです。段々状に咲くユニークな花を持っています)
 
 あまり見かけない花ですが、ちょうど今頃咲いています。
 左は、寺から伊佐路に行く途中で咲いています。ここでは毎年咲きます。
 右は、2012年に「きららオーガニックライフ」で撮影したものです。この施設は2018年に閉められましたが、いろんな植物が栽培されていて楽しい場所でした。

 段々状に下から順番に咲くところから「段菊」という名前ですが、菊といってもキク科ではなく、シソ科(従来の分類体系ではクマツヅラ科)に分類されています。

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673.第2回法中会を開催しました

20200911法中会2 

  9月8日、自坊で第2回宇部北組法中会を開催しました。
 当日の議事の概要は次の通りです。

 1.第2回組長会の報告
  以前ご報告しました、7月30日の第2回山口教区組長会の報告を行いました。

 2.宇部北組の今年度の教化団体の活動計画
  新型コロナウイルス感染拡大に対応するために、年間の活動計画も従来とは違ったものになります。
  ・「御同朋の社会をめざす運動」委員会
   コロナウイルスの状況も見ながら、映画「沖縄戦」について研修することも含めて計画されます
  ・連続研修会
   来年2月からのスタートに向けて詳細を検討することになりました
  ・宇部北組のHP、組報『ご縁だより』
   HPには、毎月各寺院持ち回りで記事を掲載することとなりました
   組報は10月上旬に発行する予定です
  ・花フェス2021
   来年4月11日(日)10:00~12:00に開催することになりました
   コロナウイルス感染対応として、人数を減らして吉部の3か寺を会場にし、子供会と共催の形で開催するなどの形で、検討されます。

 3.宇部北組規約等の改正案
  「宇部北組規約」「宇部北組運営要綱」「宇部北組組会規定」「大谷本廟無量寿堂利用規程」の改正案を説明しました 

(写真は当日の様子です)

 今回も、戸を開け放して実施しました。

 7日に通過した台風の影響で停電が発生しました。停電は早期に回復したのですが、停電の影響で寺の井戸のくみ上げポンプが止まり給水ができなくなり、その修理が8日までかかりました。断水でトイレが使えなくなっていたのですが、修理は会議開始に間に合ってほっと一安心でした。

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672.『唯信鈔』、『唯信鈔文意』を読む(8):題号釈(2)

 20200828信行両座s 

  親鸞聖人が「唯信鈔」という題号について説かれた「題号釈」について、学んでいます。

 今回の部分は、その二回目です。御文です。

 「また「唯信」は、これこの他力の信心のほかに余のことならはずとなり。すなはち本弘誓願なるがゆゑなればなり。」

 訳文です。
 「また「唯信」というのは、この他力の信心のほかに別のことは習わないということである。すなわちこの信心は、阿弥陀仏が広くすべてのものを救おうと誓われた本願そのものだからである。」

 前回の部分で、聖人は聖覚法印の『唯信鈔』を貫いて流れている教えは「信心」にあり、題号の「唯信鈔」はそのことの全てを言い表しているのだと、され、信心一つが浄土に往生する正しい因だと示されました。
 今回の部分で、親鸞聖人は、法然聖人から学んだものは他力の信心のほかには何もないのだと聖覚法印が示しておられる、と受け止めておられます。このように、親鸞聖人は、他力の信心が唯一の往生の因であるということが法然聖人から聖覚法印を通じて親鸞聖人に間違いなく伝えられているということを私たちに示しておられます。

 今回初めて知ったのですが、この「余のことならはず」という部分について、「余のことならばず」と読むという説もあるのだそうです。その場合、往生の因は他力の信心のみで、その他に余のことのならぶものはない、と解することになります。
 普賢師は、ここはやはり、法然聖人から学んだものは他力の信心だけであり、他のものはない、という意味だとしておられます。

 本日の部分を読んでおりまして、「御絵伝」の「信行両座」ののことを思い出しています。
 親鸞聖人が法然聖人のもとにおられた時に、法然聖人のお許しを得て、「弥陀の本願を信じる信と称名を励む行のどちらが往生を遂げる因なのか、考えを示してください」とお弟子さん方に問いかけられたという逸話です。
 これに対して、「信」の座につかれたのが親鸞聖人、聖覚法印ほかに二人の方で、法然聖人も「信」を支持されました。

 この逸話は、聖覚法印、親鸞聖人は正しく法然聖人の教えを受継いでおられたということを示すものでもあります。

(写真は、稲田の西念寺本の伝絵の「信行両座」の段です。『唯信鈔』を著された聖覚法印の姿も見ることができます。)

 このブログで「信行両座」の段については、自坊の御絵伝西本願寺本及び専修寺本の伝絵の図をご紹介していましたが、今回は西念寺に伝わる伝絵からお借りしています。
 正面奥におられるのが法然聖人、左手前で記録を記しておられるのが親鸞聖人、その隣が法蓮坊信空と聖覚法印と伝えられています。また、親鸞聖人の前におられるのが遅れて来られた法力坊蓮生(熊谷直実)で、法力坊も「信」の座につかれました。
 
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671.最近の話題(52):ミツバチの巣

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  今年になってから気になっていたのですが、本堂の4か所に蜂の死骸が多く見られるようになっていました。始めはそんなに多くなかったのですが、その数がどんどん増えていくように思われて、宇部市の支所に相談をしました。

 8月28日に、支所から紹介いただいた業者の方に来ていただき、現場を見てもらいました。その結果、これは本堂の天井裏にニホンミツバチの巣があって、それをスズメバチが襲い殺されたミツバチの死骸なのだそうです。「明日巣を処理しましょう」ということになりました。

 8月29日、境内周辺の草刈りをお願いした日の夕刻、二人の方がおいでいただき、天井裏に上がってもらって処理をしていただきました。
 2時間半の作業の結果、大きなミツバチの巣が1つあってこれを取って下ろしたので、もうスズメバチが襲うこともなく死骸が落ちることもないでしょう、ということになりました。 
 そのミツバチの巣は、写真にあるような大きなもので、蜜を蓄える層(ハニカム状でした)が何重にも重なるものでした。
 翌日8月30日の朝、確認に行きましたが、蜂の死骸はありませんでしたので、この作業が有効なものだったようです。

 その業者さんからお聞きしたハチに関するお話しはなかなか興味深いものでしたので、少しご紹介します。

 まず、日本で一般にみられるにミツバチには、本堂に巣をかけていたニホンミツバチとそれとは別種のセイヨウミツバチの2種類があり、いわゆる養蜂にもこの2種のミツバチが使われているということです。現在では、セイヨウミツバチの方が優勢で、ニホンミツバチが圧迫を受けて少なくなりつつあるのだそうです。
 一方、ミツバチを襲うスズメバチは、ハチの蜜はもちろん、動物や昆虫も食材にしているということです。ハチは蜜を食べて生きているのだと思い込んでいましたが、これは間違いだったようです。スズメバチはミツバチを攻撃して捕獲し、巣に持ち帰ってこれを噛み砕いて食用にするということもあるそうです。
 これに対して、ミツバチも反撃方法を持っていて、侵入してきてスズメバチに多くのミツバチがとりついてミツバチ自身が発する熱でスズメバチを殺すという不思議な方法を使うのだそうです。蜂球(ほうきゅう)という行動で、スズメバチが高温に耐えられないことを利用した「戦法」なのですが、それができるのはニホンミツバチの方でセイヨウミツバチはそれができないのだといいますから、不思議です。

 ミツバチを襲うスズメバチは仲間でミツバチの巣に関する情報を共有していて、今回のようにミツバチの巣を撤去しても、ミツバチの巣がなくなったという情報が行き渡るまでしばらくの間は、スズメバチが巣を求めてうろうろすることもあるのだとも教えていただきました。要注意です。

 宇部市は、このスズメバチの巣を撤去する作業に補助金を出しているのだそうですが、今年は例年になくその作業の依頼が少なく、予算が残っているのだそうです。長雨、猛暑あるいはほかの原因があるのか、よく分からない、と業者さんは言っておられました。

 (写真左は、本堂外陣にあったミツバチの死骸です。右は、今回撤去していただいたミツバチの巣です)

 そういえば、以前ミツバチの死骸の間に大きなハチの死骸を見つけたことがあるのを思い出しました。ひょっとしたら、これは「蜂球」によって攻められたスズメバチの死骸だったのかもしれません。
 ついでにもう一つ、ミツバチの巣の蜂蜜はそのまま食べると危険だと、業者さんに教えていただきました。雑菌が混じっていたり、毒のある花の蜜を集めていることもあるからだということです。

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